日本からこんにちは!です。
12日に日本に帰ってきました(でも、「帰ってきた」というより、「遊びにきた」っていうかんじの方が強いです…なぜか)。日本は思ったより暖く、南半球の延長で洋服そのまま着ています(日本の服は今の私には小さすぎて入らない)。毎日部屋の片付けをしつつ、鈴木氏速報、ワイドショーにはまっています。
 オーストラリアを立ってからはシンガポールに3泊し、うち1日は日帰りでマレーシア観光もしました。オーストラリアに滞在中、たくさんのアジア人に出会い、それまで私の関心が欧米に向いていた(アジアは近いので年取ってからでも行けると思っていたので)のですが、今はアジアに嵌っていて、シンガポールではアジアン三昧でした。でも、ヨーロッパに行った時の反省を繰り返すのですが、やはり観光するからにはその国の歴史くらいは(風土・習慣は実際に見た方が面白い)予習しておくべきでした。日本は戦時中シンガポールを占領していたから、今でもその歴史を引きずり、日本人観光客に対していい印象はないのでは…(オーストラリアの人の中に、日本人キライが結構いたので)と少し心配だったのですが、逆にシンガポールでは日本人ブームみたいなものがあっていやすかったです。きれいだし、モノはいいし。シンガポールに限らず、アジアの各国では友人いわく、日本は今のところ憧れの的だそうです。そうそう、シンガポールはオーストラリアみたいに、色々な人種が集まる国でした。それぞれの文化を認め合う居心地の良い国でした。
 さて、オーストラリアを出る時、シンガポールを出る時、日本に着く時の3回、飛行機の中で泣いてしまいました。「なんで日本に着く時に泣くの?」っていう感じなんですが、この1年間(もなかったけれど)ものすごく充実し、私自身Broadned and grown up(→日本語でどう表現したらいいのかな?)しました。そしてそれがかなったのも、私が過ごした環境だけではなく、出会った人がすばらしかったからだと思っています。飛行機に乗る時間が長ければ長いほど、そういう人達との距離が離れてしまい、それが辛くて泣いてしまったのです。今でもメールを通して連絡をしていますが、それでも
距離は埋められません。日本を離れてから日本の友達との連絡が日増しに途絶えるようになってしまったようになりはしないかと心配です。言葉の問題もありますし。
 それと、日本に帰ってきてから4日目になります。まだ近所を離れていないのですが、日本という国を外から見るようになった自分に気づきました。日本語教師アシスタントをしていたせいか、あちらでも「日本」を離れることはなかったのですが、いざ帰ってきてみて、なんとなく違和感があります。これがどういうことなのか分かりませんが。日本人として日本で暮らすと、日本の良さが見えなくなります。この文章、ちょっと語弊がありますが、つまり私が何をいいたいかと言うと、日本を離れるまで日本の良さがわからなかったし、それがある意味当然と思っていました。けれども、特にインドネシアに行ってみて、いかに日本が恵まれているかを知りました。また、今は経済大国として位置付けられている日本ですが、発展途上の他のアジアの国々を見てみると、その日本の位置もすぐにぐらつくのではないかという不安も持ち始めました。今の私の疑問のひとつは、”幸せ”の基準です。幸せは自分だけが感じられるものなのか、それとも他の国や人と比べてみて感じるものなのか、それともその両者か。私にとってはマザーテレサの世界だった「貧困」を目の前にしてから、絶えず繰り返す疑問です。
 話が飛びました。今後の私は…というと、とりあえずはダイエット、そして日本で働くつもりです。それと、この日記は、今月末〜来月上旬とオーストラリアから生徒が来るのでそれまではたまに書きたいと思います(カウンターが動いていないので、「この日記読んでる人いるの?」と母に言われました。どうなんでしょうか??)

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