長い間ご無沙汰しており、申し訳ございません。
このページも、mixiもほとんど見ない状態が1年近く続いております。

昨年は、日本にとっても、私にとっても試練の年でした。

いつになったら春が来て、
ギラギラ燃える太陽を見られるのか…
光の筋が一瞬見えたと思ったら、
すぐにまた次の闇がやってくる…
そんなことの繰り返しの1年でした。

私に何があったのかというと、
子宮筋腫が増えて、大きさも大きくなったこと。
一つはテニスボール大の大きさにまで成長しました。
しかも、多発性で、
他にもゴルフボール大のものや、
小さな筋腫が2、3個あるようです。
ということで、近々手術をすることになりそうです。

と、こんなことでは心に大きな傷を負うほどではありません。
普通分娩ができなくなったことや、
将来的に数回にわたって手術をしなくてはならなくなりそう、
ということはちょっとした衝撃ですが、
病気と闘っている人はたくさんいる。
そう思うと、私も頑張らなくては、と鼓舞されます。

私に闇をもたらしたもの…
それは、ある友人です。
とても仲が良くて、しょっちゅう携帯やパソコンのメール、
それでも足らずにskypeで2~3時間チャットをするくらいでした。

ところが、ある日突然態度が急変し、
暴言を吐かれまくられる毎日…。

思い出すだけでも
怒りと悲しみがこみあげてくるくらい、
すごいことをたくさん言われました。
最初は、相手の機嫌が悪いだけかと思っていましたが、
あまりにも多くを言われ、
さらには、人として間違っている、というようなことまで言われたため、
やはり私自身に何か重大な欠陥があるのではないか、
そう思い始め、
精神的にかなり追い詰められました。

いつの間にか相手の携帯電話の番号が変わり、連絡が途絶え、
Skypeのコンタクトからも削除されました。

その友人は、私に暴言を吐いた後は、
私の悪口を共通の知人に話したりもしていたようです。

友人の事業立ち上げに、かなり時間を費やして協力したし、
相談にも乗ったのに…。
とても信頼していて大好きな友達だっただけに、
傷はどんどん深くなるばかりでした。

言葉のナイフって、
一度突き刺さると、
傷口は広がるばかりなんですね。
刺した本人は、刺したことすら覚えていないと思いますが。

睡眠障害も続き、84時間連続で眠れなかった時もあります。
食欲も激減し、
チョコレートとインスタントスープ、おにぎり1つと菓子パン1つで
1日をしのいだ日が何日か続きました。

これまで、精神的に追い詰められるほどの状態になろうとは、
私自身も思っていませんでしたし、
親しい友人たちも、とても驚いていました。
一時期、人に会うのが怖くて、
親しい友人との連絡も絶ってしまいました。

年末あたりから、
この友人とはこちらから連絡を取らないようにしていますが、
何回か、翻訳を手伝って欲しいと向こうから連絡がありました。
とりあえず、手伝いましたが、
やはり、最後は暴言…。
ここ数日、私は生きる価値があるのか(→友人に言われたため)
自問自答を繰り返しましたが、
友達からの温かいメッセージに励まされ、
なんとか前向きに一歩踏み出す勇気を得ました。

この1年近く、振り回されては傷つき、落ち込み、
前に進もうと思っても
また振り回され…
という悪循環が続き、
出口が見いだせなくて、
戸惑い、悩み、焦ったりもしましたが、
明けない夜はない!
止まない雨はない!

なぜ、こんなことを日記に書こうかと思ったのかというと、
励ましてくれた友人たちに、
私は今ようやく立ち直ることができそうだということを
お知らせしたかったからです。
心配かけた主人にも、ごめんなさい…。

久しぶりのブログが、暗い話ですみません。

去年は、振り返ってみても、
何も成長できなかった、
いやむしろ、後退する一方だった1年でした。
今年は、ようやく、反対方向を向いていた私の心も体も、
まっすぐ前を見て、
今日から一歩一歩、ゆっくり進んで行ければと思います。




今回の大震災でお亡くなりになった方々の、ご冥福をお祈り申し上げます。

一晩明けて、少しずつ全容が明らかになってきました。
今回は、地震による家屋の倒壊というより、
大津波で亡くなった方が多かったのですね。
日本全国の海岸地域に津波注意報~大津波警報まで出ていました。
私は津波を見たことも(テレビ以外で)、
体験したこともないので、
正直なところ、津波の恐ろしさはよくわかっていません。
気象予報士の試験で、ちょっと出たくらいかな。
テレビで見た映像は、想像もできないくらいの規模と迫力でした。
映画のCGを見ているようでした。

今は原発の問題も大きくなり、
地震、津波、火災、そして原発と、
問題はどんどん大きくなるばかりです。

避難所に行っている人の心内は計り知れません。
家やご家族、お友達を失った喪失感、
震災による恐怖、
未来への不安・・・。
私たちは、こうやってネットを見たり、テレビを見たりして
被災状況がおおまかに見えてきますが、
現地では情報すら手に入らない。
物資も、あまりの被害の大きさに運べない・・・。
被災した方々の気持ちを考えると、涙が出てきます。
言葉が出てきません。


去年2月に起こったチリの地震では、
1ヵ月後でも、Mw4.5以上の余震が326回、うち、Mw6.0以上は16回起こったそうです。
阪神淡路大震災のときは、
1ヵ月半後までに、震度1の微震以上が190回、震度0が1,615回。
今回の地震はこれを上回る規模だったことから、
もっと長く、しかも大きい余震が観測されるのでは、とのことです。

それにしても、
阪神大震災が起こる半年前の夏(1994年の夏)は、かなりの猛暑、そして戦後最大の地震。
今回の地震が起こる半年前の夏(去年の夏)も、かなりの猛暑、そして過去最大の地震。

さらに、アメリカの同時多発テロが2001年9月11日、
チリの地震が2010年の3月11日、
そして、
今回の日本の大地震が2011年3月11日。
何か、因果関係でもあるのでしょうか・・・・。

帰国セール!!

2010年7月25日 日常
帰国セール!!
帰国セール!!
帰国セール!!

引越しを1週間後に備え、
私の帰国も現実味を帯びてきました。
(というか、もうこちらに来る時点で帰る日はほぼ決まっていましたが)

私たちは、日本に家を置いてきているので、
そこに荷物がほとんどあるという状態。
そのため、普通の人に比べたら荷物は少ないそうですが、
それでも、30箱くらいにはなりそうです。

パッキング自体は結構順調ですが、
家具のセールが大変です。
なかなか売れんのだぁー!!

この時期、日本に帰る人が多いみたいで、
広告出しても、
同じような内容のものがずらり~。

一番期待していた日本製炊飯器がぜんぜん売れず、
かつ、2年前の今頃、私たちが切望していた(?)ヒーターが
なかなか売れない!!
今年はそんなに暖冬ってほどでもないのになぁ。。。

でも売れたものも。。。

なんだと思います?

な、な、なんと!!!

日本から持ってきた
パイプハンガー
が爆発的に人気なのです。

で、このハンガー、2つあったのですが、
広告出したらすぐに問い合わせがあり、即売。

実は、このハンガーは、
「どうせ売っても売れないから、捨てて帰ろう」
と、はじめは売るつもりはなかったのですが、
そういえば、こちらにこういうのないなぁと思って掲載してみたら、
なんと大人気♪♪

洗濯物に使っていたこのハンガーラック。
二つともなくなってしまって、洗濯物を干すところが亡くなってしまったのであります。。。

海外引越しの心得

ハンガーラックは日本から持参せよ。

そして、帰国時には売却せよ。


オーストラリア卒業旅行番外編として(?)、
急きょ(5日前決定)
旦那が一人でエアーズロックこと、ウルルに行っています。

何で一人なのかというと、

・エアーズロックまでは航空券代が高い
・私は過去に行ったことがある

というのが主な理由で、
ちょうど私が、
耳を傷めていて飛行機に乗れない状態でもあるため、
行かなくてよかったと思います。

久しぶりの独身気分が味わえる~!

と思ったけど、

今回の彼の旅行。

土曜日の朝出発し、
今日の夕方5時頃シドニー着。

つまり、エアーズロック周辺には
24時間くらいしか滞在しない。

ということらしいのです。

この24時間の間に、
帰国のためのショッピングに行くぞー!
と思っていたものの、
耳が少しの気圧の変化にも敏感に反応してしまい、
乗り物に乗れない。

代わりに、
お部屋のお片づけ、
さらにおととい舞い込んできたお仕事を片付けるために
大忙し!!

耳がふさがれ気味で痛みもあり、
今日はお昼ごろお医者さんへ行ってきました。
抗生物質をもらって、
これで様子見です。

エアーズロックでは、
フランス人の女性旅行者が、
登頂後に、エアーズロックの上で
ストリップショーをしてビキニになり、
You TUbeで紹介したそうです。
アボリジニの人々は大激怒!
そりゃそうですよね。。。

うちの旦那は、登頂するのかと思いきや、
「過酷だし、
アボリジニの嫌がることをしてまで登りたいと思わない」
と、
なんとも優等生的回答。
それより、ふもとのアボリジニ文化センター(?)の方が
興味がある様子。

私も、数年前、
最初は彼と同じく、
アボリジニーの嫌がることはしたくないなと思って登るつもりはなかったけど、
結局周りががんがん登っていたので、
私も一緒に登っちゃった…
ので、旦那も本当に登らないかはわかりませんが。

***

ところで、
昨日の朝出発してから、
旦那から連絡があったのはただ一回だけ。

「サングラス忘れた」

とショートメッセージ。

その後、こちらから2、3回くらいメッセージ送ったんだけど、
まだ返信なし。
これって、普通???
こちらに来てから毎日、
こんなんでいいのかな~
とか、
日本に帰ったら社会人としてやっていけるのかな~
と時折(というか、しょっちゅう)心配になります。

自分の中で、今後の方向性はある程度定まってきているものの、
それに向かって何かを始めよう、というところまでは至っておらず。

そんな中、
シドニーで生活している人のエッセイの、とある一文に目が止まりました。

「毎日が日曜日みたいなんでほんとにいいのかな」

私のこの1年半の生活を一言で表す見事な表現でした。

平日は天気の仕事を在宅でやっているし、
日本語のクラスも週2回くらいはやっているけれども、
それでも
日本での生活に比べたら、毎日日曜日みたいだ。

主人は、
シドニーでは、だいたい8時すぎに家を出て、
7時までには帰ってくる毎日。

日本にいるときは、
別々に生活していたときは月1回会うかどうか、
一緒に暮らしていたときだって、
繁忙期のときなんかは半月くらいすれ違い(もしくは不在)の時がありました。

そんなでしたので、
今の7時帰りというのは、
私には少々圧迫感(早くご飯つくれ~、という意味で)もありますが、
考えてみれば、
これが生活を営む上で、
とても自然な形なんだと気づきました。

私は方向性は決まっていても、
実際社会が私を受け入れてくれるかという問題がありますが、
主人の場合は、
会社側が主人の帰りを待っている状態。
また2年前のような激しい勤務に戻るのかと思うと、
気の毒な感じもします。


よく、
オーストラリアのどんなところが好き?
と聞かれます。

今まで、何度も聞かれる割には、実はちゃんとした答えを持っていませんでした。


ゆとりがある(日本に比べて)
自然が多い(日本もあるけど)
というありきたりな回答もあるけど、
今回来て気づいたことは、
家族との時間が持てること(これも、日本に比べて)
も魅力のひとつだと思いました。

今日は朝からずうぅっと雨で、
日中の最高気温が20度届かず、
冬を思わせる1日でした。
我が家では(というか、私だけ)
今シーズン初の、
ババシャツ記念日になりました。

暦の上では、あと半月もすれば、冬になります…。

ところで、
昨日、政府が、独立移住プログラムで永住権を申請する際にかかわってくる、
職業リストを発表しました。

http://www.immi.gov.au/skilled/general-skilled-migration/pdf/new-list-of-occupations.pdf

今まで、気象学者はポイント50ももらえたのですが、
にゃんと!
今回の改定ではリストに入っていませんでした。
がーん。
(そもそも、私が気象学者に分類してもらえるかは謎でした…ごめんなさい)

今後しばらくは、
独立移住プログラムで永住権を狙うには、
このリスト(181職種)に入っていないと無理みたいです。

これに伴って、
私の周りでも、
永住権狙いで学校に行っていた人がばたばたと母国に帰国し初めています。

調理師
美容師
会計士

この3つは、
人伝で聞く限り、
コースを取っているのは留学生ばかりだそうです。
しかも、卒業して実際にこの職業で働く人は一握りだそうです。
私の知人も、永住権目的で調理師コースをとり、
あと2カ月で学校が終わる、
というところでの発表にがっかりしていました。

残念ながら、予告通り(?)調理師と美容師はリストから外されましたが、
会計士は生き残りました。
条件が厳しいみたいですけれど。。。

***

オーストラリアは、今景気がよくて
先進国の中では一番に金利を上げ、
移民政策も積極的に行ってきています。

オーストラリア人の話を聞くと、
経済を支えるためには移民を積極的に受け入れるべきだ、
という意見と、
これ以上アジア人を増やすな、
という意見と
賛否両論あるようです。

オーストラリアは
石炭などの資源はあるものの、
他にこれと言って国を代表する産業があるわけではないので、
観光や留学からの収入は大きいはずです。

日本の永住権を考えてみると、
在留期間が10年以上ないと永住権申請の資格がない(けれど、そのほかの条件は比較的緩い。と思う)のに対し、
オーストラリアの永住権申請は、
在豪歴がなくても、他の要件を満たしていれば申請する資格が得られます。
そういう意味では、
オーストラリアの移民政策は寛容なのかなと思います。


これまでの独立技術プログラムでの永住権申請は、
たとえば、
「オーストラリアの大学で、リストに載っている職業に関連する学部を卒業した新卒者」は申請資格を得られたのに、
「ハーバード大学を卒業して仕事もバリバリこなして業績を残した人」は申請資格すら得られませんでした。
ところが、今回の改定を機に、
オーストラリアへの貢献度の高い人と重視して
移民政策を行うようになったのです。


でも、オーストラリアの留学産業、
これでちょっと右肩下がりになるんじゃないでしょうか。。。
調理師と美容師だけでも、
留学生の数って相当多いらしいですから…。


お別れ会
お別れ会
お別れ会

一緒に日本語教師をしていた女の子が
日本に帰国することになりました。

昨日はそのお別れ会に行ってきました。
シドニー湾を眺めながらBBQ。
オーストラリア流ですねぇ。

私がバイトをしている語学学校は、
ワーホリ(ワーキングホリデー)の先生も一握りですがいて、
半年しか働けないワーホリビザの先生の旅立ちを
この1年ちょっとの間、数回見てきました。

また、オーストラリア人の先生でも、
転職やら長期の旅行に出るやらで
私より先に何人も旅立ってしまいました。

そもそも、
オーストラリアは移民の国なので、
入ってくる人も多ければ、
出て行く人もそれなりにいて、
私の職場のみならず、
主人の職場でも、
友達の職場でも、
よくフェアウェルパーティーの話を聞きます。
また、日本に比べて転職が多いですしね。

数が多いせいか、
こちらのフェアウェルパーティーって、
比較的ドライな感じがします。

日本人がオーストラリアを発つ時は
空港や飛行機の中で大泣き
ってよく聞きますが、
私はどれくらい泣くんだろう・・・。

2002年にオーストラリアを発つとき、
飛行機の中で一人泣いたな。
でも、
そのときは
なんとなくまた戻ってくるような予感がありました。

2007年に再びオーストラリアに来たとき、
やっぱり飛行機の中で目が潤んじゃったな。
隣に旦那がいたけど。
でも
そのときも
もしかしたら、っていう淡い期待がありました。
でも、同時に、「最後かも」とも思いました。

今回はどうだろう?

うーん。

でも、また来そうな感じがする。
しかも、またシドニーに。


今日、とても不思議な感覚に捕らわれました。

Facebookやmixiで、
友達の写真をよく拝見しています。
みんな、いつも楽しいお写真ありがとう☆

で、いつも見ているはずの、
見慣れているはずの日本の風景が、
今日はなぜか異国の地に思えたのです。

今まで、
こちらでの生活は夢の延長線上、
みたいな感覚でした。
「外国にいるんだ」という感じ。

でも、今日は、日本の(しかも東京)写真を見て、
「私は今度はここに行くんだ」
っていう、
なんだか未知の世界にでも行くかのような感覚。

帰国が迫って来ているからかな。
とても不思議な感覚です。


こちらで、
素敵なメッセージ入りのカードを見つけました。
このメッセージをそのまま母に送るのはまだ早いけど、
いつかぴたりと同じ気持ちになる日が訪れますように。。。



A mother’s love is a lasting treasure

Time has brought me a greater understanding of life and a growing appreciation of all you have been to me. As life’s plan unfolds and I am gifted with the experience of being a parent, I see you in a new light. I truly know the love you have given and felt over the years, and I am filled with gratitude. Thank you for being my mother. The bond we found is everlasting.
I love you.



オーストラリア滞在1年7ヶ月目にして、
ようやく運転免許を入手しました。

こちらに来てから1年は国際免許書を保持していたものの、
よくあたる占い師さんからの「今年は運転をやめたほうがいい」
というお言葉を信じ(他の面でもその占い師さんの助言が当たっていたので)、
去年は運転しませんでした。

でも年が明けたので、そろそろいいかなと・・・。
っていうか、遅いか。
残り少ししかオーストラリアにいないのに。

で、週末に旦那に教官になってもらい、
近所を中心に運転の練習。

私は、日本では、ゴールドペーパードライバーですので、
ゴールドに恥じないよう(!?)、
慎重に運転。

日本では実家に住んでいた頃に、
ちょこちょこ運転はしていましたが、
国が違う(交通ルールはほとんど一緒)上に
10年近く運転をしていなかったものですから、
アクセル踏むのもドキドキですよ。

縁石こするかこすらないかのギリギリラインで運転するので、
旦那にはいつも怒られます。
免許取りたての学生の頃から変わらず、
ギリギリガールズな私です。
(もう「ガール」じゃないかな。)

私って運転に向いていないかも。

でも、オーストラリアはバイクが圧倒的に少ないため、
運転がしやすいのは確かです。

道も東京よりは広いですし、
歩行者も少ないですし。

逆に言えば、ハイウェイなんかに乗ってしまうと、
逆に何もなさ過ぎて(都心を離れると街頭すらないところも)
単調でつまらないっていうこともあります。

また、シドニーに限って言えば、
ドライバーは運転が荒い、
というのは玉にキズです。


ところで、運転をする方にお伺いしたいのですが、
ペダルって、

右足で踏みますか、
左足で踏みますか、
それとも両足で踏みますか。


(まさか、杖で踏む、なんて人はいないでしょうから、
ここは三択ですよね。)

秋になりました

2010年3月11日 日常

文章を書くことが好きだった10代のころ。
なんであんなに文章が書けたのでしょう?
今は、時間はあるはずなのに、
ネタもあるはずなのに、
あまり文章を書きたいと思わなくなりました。
なんでだろう?

***

オーストラリアは、
というか、
シドニーは秋になりました。

去年の今頃は、もう少し暑さが残っていた気がします。
3月末に屋外プールに行ったくらいですから。

ところが、今年は3月になったとたん、
カレンダー通り、天気も秋らしくなりました。
朝晩は家の中でもちょっと肌寒くなります。

とはいうものの、大陸の反対側のパースでは、
猛暑日並の暑い日が続いているようです。

今年の冬は平年並みか、
もしくは寒い冬になるんじゃないでしょうか(私の独り言)。

***

最近日本語の授業も落ち着いてきているので、
そろそろ
帰国に向けて、
というか、帰国したらどうしようかリサーチ中。

まだいないし、これからもできるかわからないけど、
子供ができたら、という仮定も含めて
いろいろ考察中です。

日本では失業率がオーストラリアよりも深刻のようなので、
覚悟を決めて帰らないと。

最近の私の変化といえば、
顔のほくろがまた増えたことのほかに、
一時は永住権まで取りたいと思っていたくらいに
大好きだったオーストラリアへの執着心が、
なんだか急に冷めてきたことです。
(注:熱しやすく冷めやすい私のことなので、
日本に帰ったらまた加熱するかもしれませんが)
秋に入ったところで、
飽きも一緒に来た感じです。


日本語の授業がないので、
家に引きこもる時間がぐんと増えました。
友達もこちらにはほとんどいないので、
一人でいろいろ考える時間が増えます。
こういうとき、
在宅の仕事は困ります。


で、家では日本語のインターネットや本、CDに囲まれているので、
はっきりいって、
オーストラリアにいる意味があまりない気もしてきました。
最近は、私が行けそうなイベントがあったら
足を運ぶようにしていますが。


テレビをつければ、
やっとおさまってきた捕鯨問題に次いで、
トヨタ問題、
そしてマグロ問題。。。
(+戦時中に日本が撃破した船が半世紀ぶりにQLD州で見つかったetc.)
いい意味でではなく、日本が話題に上ることが増えてきました。
捕鯨問題に関しては、
面と向かってオージーに「I hate it.」って言われたこともあるので、
肩身が狭いです。
(ちなみに私は日本の捕鯨に100%反対ではありません。
むしろ完全にやめてしまったら、海の生態系が壊れるし、
私には直接関係しないけど、
「文化」の一部であることを尊重すべきだと思っています。)


かと言って早く日本に帰りたいかと言うと、
そうでもない。

日本を離れたこの1年半の間に、
日本はだいぶ変わったと思います。
毎日ネットでニュースは欠かさずチェックしているものの、
情報が溢れすぎてて、ほんの一部しかピックアップできません。
得意分野だった(?)芸能情報も、
いまじゃすっかり浦島太郎ですよ~。

人の多さや
満員電車も耐えられるか…!?

日本に帰ったらしばらくリハビリになるんだろうな。



怠惰な生活を送るあまり、
ブログの更新までも滞っております。。。(反省)

できればお伝えしたい身の回りのこと
(ほとんど日本語関係だけど)があるのですが、
またそれは気が向いたときに・・・(→いつ!?)

ところで、以前、私の歯医者さん通い@シドニー
についてブログに書きました。
http://edit.diarynote.jp/home/diary/edit?time_id=200908091056054407

ご縁あって、別のところに行ったので、
そのご報告を・・・。

去年暮れ、中高の同級生Aちゃんのホームパーティーにお招きいただいたときに知り合った日本人の方からのご紹介です。

ちょうど、その場に、こちらで歯科衛生士をやっていらっしゃる方のお話を伺うことができ、
自分であんなにネットで調べたのに、
やはり、現場で働いている方の方が情報が正確で詳しいですね。

私が行っていたシティの歯医者さんは、
フォローはとてもいいと思うし、
きれいだし、
先生も衛生士さんもいい人ばかり。
日本語も通じますしね。
結構相談に乗ってもらいやすい環境にあると思います。
そういう歯医者さんの環境って、大切ではないでしょうか。

ところが、ところが、です。

その歯医者さん、
実はあんまりコンポジットが上手ではないかもしれません。

確かに、クラウンは上手でした。
でも、コンポジットレジンは…。

だって、まあ、私の場合虫歯が大きかったこともあるのかもしれませんが、
右上の臼歯を削って2箇所をレジンで処理してもらったところ、
治療後1分後に取れてしまったのです。
最初は、それが麻酔による違和感だとばかり思っていたのですが、
麻酔が切れても、歯の裏側のかぶせ物が半分なくなっているのがわかり
(妙に歯が薄かったので)、
その後すぐに診てくださいました。
が、つめなおすときにさらに深く削ったこともあってか、
治療後痛みが引かず、
おまけにレジンが隣の歯にくっついてしまって、
フロスができない状態。

でも、その歯医者さんでお願いするとまた同じ結果になるだろうと
新しい歯医者さんを探していたところ、
ちょうどお友達の所で素敵な情報を入手したのです!

でも、
永住している人の多くは、ほとんど歯医者さんにかからないんですよ。
みなさん、結構歯は丈夫みたい(偶然ですが)です。
うらやましい。

ところで、そのご紹介いただいた歯医者さんについて。

シティから近く、電車でも15分くらいでしょうか、
Marrickvilleというところにあります。
空港のすぐ近くなので、
飛び立ったばかりの飛行機をすぐ間近に眺められます(関係ない?)
また、移民色が豊かで、
ここはいったいどこの国か!と思うような町並みも見られます。
若干怪しげな印象もありますが、
日中はいたって平和でした。

建物の中には4人の歯医者さんがいて、
それぞれ個室になっています。
「町の歯医者さん」という感じで、
シティの歯医者さんとは設備もきれいさもぜんぜん違いますので、
大丈夫かな、とちょっと心配になりました。
が、それも一瞬。

誰も日本語を話せません
(というか、アジア人の患者さん自体、あまりいなそう)ので、
意思疎通はすべて英語とジェスチャーですが、
先生はゆっくり話してくださいますので、
私でもなんとかなりました。

治療自体はとても丁寧で、仕上がりも満足。

結局私はその歯医者さんで2人のドクターに
コンポジットレジンの治療をしていただきましたが、
二人ともすごく上手。

コンポジットレジンの場合は
先生の腕のよさが結構出てしまうのですが、
担当してくださったお医者さまは、お二人ともとても上手でした。

オーストラリアの歯科治療は、
審美治療もかねているので、
ひどい虫歯は抜いてしまおう!と考えるドクターも少なくないようですが、
私がお世話になったお二人の先生は、
少なくとも、なるべく根の治療までいかないよう治療をする、
という感じの先生でした。

そして、気になる値段ですが、
日本の保険治療の全額負担よりも2000円くらい高い感じかしら。
私の臼歯は、1本の歯の両側2箇所をつめて185ドル、
もう一本の臼歯は、1本の歯を1箇所つめて118ドルでした。

ちなみに、紹介だと初回が1割引になります。

***

シドニーの歯医者さんを探すためにこのブログへ来てくださる方もいるので、
その方々に・・・。

シティの、
・よく広告を出している日本語を話せる外国人の先生は、高いけど腕はいいらしいです。

・同じく、広告を出している日本人の先生は、高いけど腕はいいらしいです(ただ、レセプションの方は日本語が話せないです)

・よく広告を出しているチャイナタウン近くの歯医者さんは、値段相応の治療だそうです。

・あまり広告は出ていないけど、Wynyard近くの歯医者さんは、もう日本語の話せる衛生士さんはいないそうです。でも、腕はいいそうです。

では、長々と失礼しました。。。

オーストラリア滞在期間が、ちょうど残り半年となりました。

でも、
もしかしたらそれより早く日本に帰ることになるかもしれず、
実際のところはあとどのくらいいられるのかわかりません。

オーストラリアに来ることが決まってから出発まであっという間でした。
「ビザが下りるまで6~8週間かかる」
と言われていたので、
出発は2カ月先かと思っていたのが2週間でビザが下りてしまい、
日本国内の引っ越しや
私の精密検査、
そして、仕事も前日までやっていたので、
本当にバタバタなスケジュールでした。

逆に、こちらに来てからは、
通勤に時間がかからなくなったことや、
テレビに費やす時間がなくなったこと、
友達もいないので友達に会う時間もなくなったことなど、
時間がたっぷりとできたために、
その時間をどうやって使っていいのかがわからず…。

出発時に、とりあえず、と
いろいろと書籍を持ってきましたが、
どれもあまり手をつけずに1年半が過ぎてしまいました。

バリスタの資格を取れて以来、何もやってこなかったのですが、
一方で、主人の方は、
日々の仕事で外国でのキャリアを築いていった上に、
自分の時間が持てるようになったため、
英語の勉強を頑張っていたら、
出発時には大差があった彼と私の英語力も、
今や彼の方が上回ってしまいました。
主人は資格だけでも一生食いっぱぐれないだろうに、
それに英語力もつけてしまったら
頭が上がらない…。

ということで、
この残りの半年は私も英語に力を入れることにしました。
帰国前に英語の試験を受けるつもりです。
日中仕事があるので
学校に通えないため、
独学になりますが、
頑張ります!!

1年半もあった、長すぎたホリデーに
ようやくピリオドを打つときがきました。

(たぶん…。)

オーストラリアデー
オーストラリアデー
オーストラリアデー

去年は天気の仕事もあったし、
ちょうど日本語教師の仕事を始めたばかりだったので、
その準備のために、
家にいたような気がします。

今年も、天気の仕事はあったのですが、
オーストラリアデーを祝うのは最後なので、
夜の花火だけ行ってきました!

日中は雲の多い空模様だったものの、
天気は持ち、
各地でいろいろなイベントが開催されていたそうです。
でも、とにかく暑い!
しかも、なぜだか蒸す…。
私は冷房のない部屋で、
蜃気楼を見るかのように天気図を眺めながら、
ぐだぐだ仕事…。

夜は、Darling Harbour近くの
Four Points by Sheraton Sydneyのシーフードバイキングに。

今、Viva Sydneyという、
一人分の料金で二人分食べられる、
というキャンベーンが実施されています!
祝日は、ディナーバイキングが一人80ドルなのですが、
今日は、一人分の料金で二人分いただけました~♪
超お得!
おまけに、この日は、バイキングとは別に、
ロブスターが出てきてびっくり!
私は食べられないので主人に食べてもらいましたが、
それだけでも20~30ドルくらいするんじゃないでしょうか。

品数は少ないかもしれないけど、
一つ一つの料理はクオリティが高いと思います。
パラマンディの姿煮があったのはびっくりです。

ちなみに、そのキャンベーンは、
このホテルのバイキングのみならず、
他のレストランでも一部適用されていますので、
詳細は下記でご確認ください。
http://www.sydney.com/Viva_Sydney_p4020.aspx

バイキングでおなかがいっぱいになったあとは、
Darling Harbourに。
かなりの人出が予想されていたので、
主人の会社がすぐ前にあるため、そこから見させてもらおうかと計画していましたが、
厳重な警備で中に入れず…。
結局会場まで足を運びましたが、
日本の人出に比べたら大したことないです。

ところで、
こちらでは、イベントがあると、
会場の入り口でカバンチェックがあります。
拳銃持ってるとか、危険物を持っている、
ということのチェックよりも、
むしろアルコールチェックが中心のようです。
アルコールの容器(瓶)がいけないみたいです。
酔っ払って、瓶を投げて通行人にけがを負わせたり、
他人を殴って暴力事件に発展したり、
ということがあるようです。

***

オーストラリアデー当日の〆はやっぱり花火です。
10分くらいにわたって、Darling Harbourの空を彩りました。
約3000発の花火が上がったそうです。

こちらの花火は、日本の花火みたいにいろいろな形があるわけではなく、
原色系のビビッドカラーの花火が
数多く、そして大きな音を立てて上がるのが特徴です。

オーストラリアデーみたいに、
国民が一体となって、建国を祝う雰囲気、
日本には見られないことなので羨んで花火を眺めていましたが、
日本で建国記念のイベントがあっても、
盛り上がらないだろうな…。

オーストラリア、222歳のお誕生日おめでとう★

明日は、オーストラリアデー

1788年1月26日に、
フィリップとその艦隊がシドニーに上陸したのを記念した祝日です。
1818年にマコーリー総督のもと、初めて公式に祝わたそうですが、
祝日となったのは、
ニューサウスウェールズ植民地建設50年が祝われた1838年からです。

そんな一大イベントを控えた今日。

一応、月曜日なんですけど、
日曜日並みに静かです。
我が家はビジネス街に住んでいるのですが、
ひっそりしています。

今朝、テレビの道路中継でも、
いつも混みあうハーバーブリッジでさえ、
早朝並みの車の流れ。

我が家は、
私はまあ当然ながら普通に天気の仕事はありますが、
旦那の方は…
普通に仕事に行きました。

でも、
今日休日にしてしまえば4連休になるので、
多くの人が、
今日を休みにしてしまっているようです。

ところで、
毎年言われているみたいですが、
今日も
「そろそろオーストラリア国旗からユニオンジャックを外した方がいいなじゃない~?」的議論があちこちでなされているようです。

そんなに嫌なのかな…?

個人的には、
シンプルな日本の国旗はなんだかさみしい感じがするのですが、
オーストラリアはお星さまつきのユニオンジャック。
かっこいいじゃないですか!

ユニオンジャックはずしちゃったら星だけが残るってこと…?

もしかしたら、次にオーストラリアに来るときには、
国旗が新しいものになっているかもしれませんね。。。

ということで、
旗を今のうちに買っておこうと思います。

他にほしい方がいらっしゃったら言ってください。



とっくに明けてしまいました
とっくに明けてしまいました
2010年、みなさまいかがおすごしでいらっしゃいますか。

前回の日記からすでに1カ月半近く経ってしましました。
この間、ブログやmixiにはほとんどアクセスせず、
先日ひさしぶりに見てみたら
mixiがだいぶバージョンアップしていて、
いつの間にか、浦島太郎な私です。


前回のブログから何をしていたかというと…

・仕事で日本語を使う人のための日本語レッスン
 (→教材作りなどに時間がかかってしまいました)

・プルーフリードのお仕事

・母がシドニーに遊びに来ました。2泊だけ…

そのあと、
主人が2週間(!)にわたる有給+無給休暇を取ったため、
その間はヤドカリ生活をしていました。

・1800kmドライブの旅

・お隣の羊の国ツアー

こんな感じです。

ここ数ヶ月間、日本に帰るまでに何をすればいいのか
ずっと悩んでいました。

日本語教師か、
気象を英語で勉強するか、はたまた、
カフェへの情熱を取り戻すかetc.

やっと先が見えてきました。
でも半年で終わるかな…。
もっと早く気付けばよかった。


ごあいさつがだいぶ遅れてしまいましたが、

今年もどうぞよろしくお願いいたします
今月は時間があることもあって、
毎日ブログを更新するぞー!と目論んでいたものの、
歯医者さんやら病院、
さらに、
思いもしなかった(→ホリデー準備でみんなアウェイ)、
日本語クラスの新規開講で、
あわてて準備をしています。

急に忙しくなった今日この頃。
「師走」にふさわしい幕閉めになりそうです。

ところで、
義父と母からのメールで思い出したのですが、

先日、
結婚「式」3周年を迎えました。
ぱちぱちー☆
(入籍はもう少し先)

でも、これと言って何も変わらず、
特にお祝いをするわけでもなく。

最近、芸能人の結婚離婚が多いですよね。
年末(クリスマスのあとくらい)だと、
年末年始の特番のおかげで追っかけられるリスクが低くなるせいか、
プライベートな報告をするのもわかるのですが、
今の時期はなにか意味があるのでしょうか。

私の周りでは出産ブームですっ!
一緒に波に乗りたいけど、
コウノトリさんは私たちにはまだ飛んでこないみたいなので、
もう少し自由な時間を楽しませてもらおうと思います。

よく聞かれるので、
この前数えてみました。

旦那と知り合ってから付き合うまで半年弱。
それから結婚まで9年ちょっと。
付き会ってから今まで12年ちょっと。
長いなぁ。

こちらで知り合う日本人のご夫婦は
出会ってから結婚までの期間が短い方が多いので、
結構びっくりされるのですが、
よくよく考えると私もびっくりです。

「けんかはしないの?」
と聞かれますが、
よくも悪くもお互いに過度な期待がない分、
ムッと来ることはあるけど、
わざわざ喧嘩に発展することはあまりないです。
その分、ドキドキみたいなのもありませんが。
基本、
うちの旦那は、
喧嘩をしたり起こったり心配したりと、
マイナスなことを考えるのは時間の無駄だ
と考える人なので、
そのおかげもあるかもしれません。
夫婦っていうか、ほんと、
友達の延長みたいな感じです。

私は、ムカつくことはあまり引きずらないのですが、
心配事はかなり引きずります。
気になってしまってじっとしていられず、
ネットで調べたり、誰かに聞いたりしたりした上で、
いろいろと考えてしまいます。
そんな私を彼は、
1と言うと10までふくらます、大げさな想像力の豊かな人」と評します。

先日、1年ぶりくらいに友達が結婚しました。
残念ながら出席できませんでしたが、
末永くお幸せに★



今年は、本当に大殺界らしい。

2ヶ月前に、4000ドルほどかけた歯の神経治療、
根の下で炎症を起こしてしまい、
結局根の専門医に行くことに…。
さらにいくらかかるのか…。
最悪抜歯ということになったら、追加で6000ドルくらい…
そうならないことを願うばかりです。

また、最近前歯の歯茎が腫れてきました。
理由、不明。

さらに、(おそらく)顎関節症になってしまいました。
理由、たぶん体の歪みによるもの。

さらにさらに、
左の耳が聞こえにくくなってきました。
ちょっとした風圧の違いや音の大きさの違いで
耳が痛くなってしまいます。

書けばきりがないけど、
「運が悪い」を越えて、
(特に体調面に関して)次々試練がやってきます。
来年になったら多少は向上するかな。

yahooニュースにこのような記事がありました。



国内航空各社は機内に持ち込める手荷物の大きさの制限を厳格化し、
1日から適用した。
これまでは各社で制限サイズがバラバラで、
空席状況などに応じて柔軟に対応してきたが、定時運航維持のため徹底する。

機内にキャリーバッグを持ち込む客が増え、
収納に手間取るなどして出発が遅れるケースが相次いだための措置。
新たな制限は、客席が100席以上の機種の場合、
3辺の合計が115センチ以内で各辺が
幅55センチ、
高さ40センチ、
奥行き25センチ以内。
100席未満の機種は、
合計100センチ以内で各辺が45センチ、35センチ、20センチ以内。
制限を超える手荷物を機内に持ち込む場合は、
追加料金(片道一律1万円)を支払う必要がある。



私は一度だけ、預け荷物を減らすように言われたことがあります。
2001年、オーストラリアに来るときです。

日本語教師のアシスタントとして、
最低限必要そうな辞書やら折り紙やらをいろいろスーツケースに詰めたら、
(残りは船便で送りました)
重量が7キロ近くオーバーしているとのことで、
空港でスーツケース広げて、
手荷物にして持ち込みました。
このときは手荷物として持ち込んだリュックがちぎれそうなくらい
かわいそうなことになっていたのを、今も覚えています。
でも、このときは預け入れる荷物に制限はなかったのでしょうね。
あれ、かなりの重さでしたよ(体積は少なかったけど)。

今でも、毎回スーツケースを空港で計る時はドキドキします。
一応、家で計ってていくのですが、
空港の窓口で計るとちょっと増えてません?

同じ航空会社でも、
担当者によって対応はまちまちのようです。

私の友達は、
日本からJ●Lでオーストラリアに飛んだ時は
重量5キロオーバーだったけれども、
学生だからと多めに見てもらえたそうですが、
逆にこちらから同じくJ●Lで日本に帰る時は
やはり5キロ弱オーバーしてたらしく、
過剰分1キロにつき数千円を払わされたとのこと。
席の空き状況にもよるのかもしれませんが。。。

空港で超過料金払うよりも、
航空便で送った方がはるかに安いんですよね~。

前置きが長くなりました。

***

私は、
いつも、荷造りの際には重量に大変気を使っております。
そして、苦労したときほど思うこと。
それは、

体重サーチャージはいつ導入されるのかということです。

だって、
小柄な、たとえば50kgくらいのアジア人が、
荷物の重量5kgオーバーして超過料金取られるのに、
大柄な、たとえば100kgくらいの人が普通に乗っているのは不公平だと思うのです。

お相撲さんは飛行機に乗る時は二人分の座席を確保するのだそうですよ。
それなのに、同じ体型の一般人は一席分っていうのも変ですよね。

この前、virgin blue(→オーストラリアの航空会社なのに、座席小さめ)に乗った時、
ある大柄なおじさんがエコノミー席に座ったらアームバーが下りなくて
特別に、プレミアムエコノミー席に通されていました。

飛行機を経済的に、かつエコフレンドリーに飛ばすのに、
荷物を軽くするように働きかけるのはいいことだと思いますが、
荷物に対する超過料金が発生するようなら、
体重+荷物の総量での請求方法も考えるべきだと思います!!!
まあ、人の体重をその都度図るのはプライバシー云々の問題が発生しそうなので、
空港には、
人と荷物とが一緒に乗れる重量計を設置すべきですね、きっと。

また、個人の健康維持にも貢献すると思います!
洋ナシ体型になりつつある自分に対しての戒めの意味も込めて、
ここはぜひ航空会社さんにお考え願いたい。


ところで、テロを懸念して、ここ数年、
液体の持ち込み制限がありましたが、
あれって、国内線ならお水の(手荷物としての)持ち込みは可能なんですね。
毎回検査を通る前に一気飲みするか、
処分するかしていたのですが、
この前
「X線にかければ持ち込める」ということを知りました。

Birthday of summer

2009年12月1日 日常
Birthday of summer

今朝の天気予報コーナーで、
キャスターさんがこんな表現(↑)をしていて思わず感心。

オーストラリアでは、
暦(があるのか知らないけど)の上では、
今日から夏です。

わーい!
今日から気兼ねなくTUBEをじゃんじゃんかけるぞー!

2009年の335日目、
残り30日。

シドニーハーバーで、
除夜の鐘の代わりに
派手な花火を見た日から、本当にあっという間でした。

海外にいると、
日常が非日常に感じられることがあります。

これがこのまま続けばいいのに、
と思う反面、
私のように中途半端に毎日を過ごしていると、
これでいいのかと思うこともあります。

オーストラリアの夏を体験するのも、これが最後になるかもしれません。
なので、サーフィンでもして始めてみようかな。

写真は、メルボルンのシティのクリスマスツリーと、
私の旅トモ、ロッテちゃんです。




1 2 3 4 5 6 7 >

 

最新の日記 一覧

<<  2025年6月  >>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293012345

お気に入り日記の更新

最新のコメント

日記内を検索