Welcome to Japan!

2002年4月8日
お久しぶりですね。もう4月になってしまいました。
オーストラリアを立ってから1ヵ月が立ちました。そして昨日、私は24歳になりました。年女です…。
それはさておき、この1ヵ月私は何をしていたかというと、何もしていません。かなりLAZYな毎日でした。友人の結婚式に参加した後、すぐにインフルエンザになってしまい、なかなか治らずとうとう1ヵ月が経ってしまいました。ゴールデンウィークには働くという私の帰国時の目標は目処が立っておりません。でも、この1ヵ月色々考えました。日本に帰ってきて、家にいることが多かったものの、たまに東京に出てみて、外人さんのなんと多いこと!これは嬉しかったです。みんなも、私がオーストラリアにいた時のように、海外での生活を満喫してくれていることを願います。それと同時に、日本語教師アシスタントとして生活した8カ月は、私にとってはものすごい大きなものでした。というのは、日本と言う国を、自分の国でありながら「外国人から見た日本」という違う視点での見方を知ったからです。オーストラリアの文化(つまり多文化ということになります)との比較から、日本の良い点、悪い点がわかったということは以前にも書いたことですが、日本に帰ってきていざ現実を目の前にすると、悪い点ばかりが見えてきてしまうのです。ものの質がいいとか安全だとか、もちろんいい点はたくさんあります。けれども、オーストラリア人がシドニーの人を冷たい感じがする、と言うように(もちろん一般的ではありませんが)、東京はなんとなく冷たい感じがするのです。それと、友人はもう社会人2年目として頑張って働いています。1年間働きもしないで夢のような毎日を送っていた私とは違って、厳しい世界を見てきたみたいです。取り残されたような孤独感はありませんが、話が合わなかったり、私の今の気持ち(日本人だけど、日本の現状をまだうまく受け入れられない、というような気持ち。あまり上手に言葉にはできませんが、私と同じように思っている方はいると思います。これが原因で就職に抵抗を感じているのですが・・・)をわかったもらえない淋しさはあります。まあ、これは私のわがままでしかないので、この辺で止めておきます。
さて、予告した通り、生徒が東京へ遊びに来た時のことを話しましょう!生徒13人と先生2人は4月2日に東京に着きました。日本人の生徒と一緒に案内(と言ってはずうずうしいですが)することになっていました。まず、東京駅の大丸でみんなはお弁当を買い、その後皇居近くの公園でお昼(3時ごろ)を食べました。まだ桜が散っていなかったので、桜を見ながらのランチ。その日の最高気温は28度だったそうで、桜を見ながらも、生徒は半そでにサングラスという季節はずれの格好でした。そのあと、浅草へ。1時間半の自由行動で、私はY12の生徒と一緒に仲見世通を歩きました。春休みだったこともあってとても混んでいました。実は、お店よりも浅草寺の方が興味があるのでは、と思っていたのですが、浅草寺には全く興味なさそうでした。ただ、生徒2人が引いたおみくじが「凶」だったことには(2人とも凶だった)驚きました(私は生まれてこの方、凶を引いた事はありません!)。生徒は扇子を買ったり、絹のバッグを買ったりしていました。買う時はもちろん日本語ですよ!お店の人の数字もちゃんと聞きとって、私はあまりお手伝いすることがありませんでした。集合時間より30分くらい前には生徒はみんな雷門の下に集まって座っていました。新幹線での長旅に疲れたのでしょうか。その間に私はみんなに人形焼を買ってあげました。和菓子ですが、みんなおいしいといっていました。餡子はどうやら大丈夫なようです。その後ホテルに荷物を置きに行き、夜の渋谷へと参りました。渋谷はたまに教科書に出てくるので知っている生徒がほとんどでした。でも、駅前のスクリーンや電灯の(?)多さに感動して写真を摂ったり、いわゆる「ギャル」と一緒に写真を撮ったり、みんな写真を手放しませんでした(山手線内浜松町〜渋谷でフラッシュが絶えなかったのは、私達の団体のせいです。すみません。みんなぎゅうぎゅうの電車にびっくりしていました。オーストラリアでは、立つことはあまりありませんので・・・・)。日本人の生徒の案内で、ちょっとかわったレストランへ。「異次元空間」というレストランで、日本語のメニューにトラブりながらも、そのレストランの演出にみんな大興奮!楽しい時間はあっという間に過ぎ、渋谷でショッピングの予定がなくなってしまいました。最後に、生徒4人とプリクラを撮り、この日は別れました。次の日、彼女達はディズニーランドへ行き、楽しい1日を過ごしたそうです(私は風邪がひどくなってしまったのでその日は自宅にいました)。そして、東京での最終日、午前中生徒達は原宿でショッピング、私は午後東京駅で待ち合わせて見送ることにしました。お餞別に、一人一人に手紙を書き、札幌土産と小さな雑貨をプレゼントしました。私にとって、これが最後の「日本語アシスタント」。別れ際は寂しかったですが、今回は見送る側だったので、涙は流しませんでした。英語で手紙を書いたので(しかも文面がだぶらないように努力したので)、かなり時間がかかりましたが、あの手紙を見て、たまには私のことを思い出してくれるといいな、と思っています。今、彼女達は神戸の姉妹校に通っています。みんな楽しんでいますように。
それと、その修学旅行とは別に、去年のY12の生徒が日本に1年間留学で来ました。3月末に彼女が研修をしているという幕張に会いに行きました。そして、彼女は8月にお母様と東京へ旅行に来る予定で、またその時に会う予定です。というわけで、これからもみんなとは無理ですが、一部の人とは交流が続いていきそうです。オーストラリアで出会った人々は私にとって、宝物です!!
今日は長くなってしまいました。次は「これから日本語教師アシスタントに行かれる方へ(仮題)」。

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