私のオーストラリアお気に入り〜その10〜
2003年2月9日 やっぱり更新されていなかったので(2月10日の日記参照)、再度載せてみます。今度は大丈夫かな・・・。
仕事でオーストラリア(しかもメルボルン)の人と取引してる(と言っても、相手は日本語ベラベラ)ので、オーストラリアが常に身近に感じます。またいつか帰れるかな、とひそかに期待しながら・・・。
さて、やっとその気になりました。「オーストラリアお気に入り」シリーズ、私の中での第一位を発表しま〜す!
私がオーストラリアで最も好きな場所、それは私が7ヶ月過ごしたToorak Collegeです♪
Y12(私がいた時のY11)が卒業する前にもう一度行きたかった、行けると思っていたのですが実現ならず・・・でも今でも生徒の何人か、スタッフの何人かとはメールでやり取りしています。本当は毎日つづっていた日記ですが、こちら(ネット上)ではマンネリを避けるため時々しか載せませんでした。今回特に取り上げて話すことはありません(一昨年←もう「一昨年」なんだぁ・・・だんだん遠くなっていく・・・)が、ざっと振り返ってみたいと思います。
Toorakに決まったのは2001年の3月下旬くらい。出発の1ヶ月前でした。一応、エージェントの方で、オーストラリアのどの辺りを希望しているかということを聞いてくださったので、私はオーストラリア=東海岸という漠然としたイメージで、「できれば東海岸」と希望を出していました。1ヶ月前になってまだかまだかと首を長くして待っていたところへある一本の電話。
エージェントの方:「ゆきてぃさんの研修期間と希望地を考慮すると、今Toorak Collegeという学校が候補にあがっています。女子校で、小学校から高校まである学校なんですが、この学校に派遣されるとホームスティではなく寮になってしまうのですが、いかがですか?」
私は中高と女子校だったのでどうしようか一瞬迷いましたが、同じ女子校とは言え国が違うし、寮という響きにもちょっと惹かれ、二つ返事でした。
実は後から知ったことですが、この2〜3日前に、ちょうど私と同じ時期にアシスタントを始める人(シドニーの研修で会いました)に同じ話があったそうですが、彼女は断ったそうです(理由は忘れました)。彼女が断らなければ私はまた別の学校に行っていたわけで、タイミングって大事なんだなぁとつくづく思いました。
それから1ヶ月が経ち、いよいよToorakへ。2学期が始まる前前日に初めて学校へ行きました。寮は学校の敷地内にあります。あの日の天気や風の様子、日の落ち具合、気温など、ビデオに収める以上に正確に私の脳裏に焼きついています。
出発前に何度か寮の夢を見ました。キリスト教の学校だと聞いていたので、映画に出てくるような「シスター」っぽい服装でかなり上品(Toorak Collegeはお嬢様学校として有名だそうです)だと思っていたのに、いざ行ってみるとスタッフ以外は95%アジア人で、しかも日本人も6人いて、それに寮内でも走り回っていたり大きな音で音楽聴いていたりと、ギャップはあったものの、緊張感がほどけていくのがわかりました。
私がこの学校で得たものは自分への自信です。寮であったためかなり色々な人に助けてもらった(生徒にも)ので、自立にはつながっていないと思いますが、自分の軌跡を残すことができたこと、初めて「自分のためだけなく、人の役にも立てた」と思えたこと、大学受験以上に「頑張った」といえるものがあったこと、これらが自信につながりました。特に、就職活動の際、どうしても「これを頑張った」といえるものがありませんでした。だから就職活動を中止し、あえてこのような道を選んでみたのですが、その時点では、それが正解だったのかどうかはわかりませんでした。でも、今は胸を張って「頑張った」って言えます。英語力は伸びませんでしたが、それが目的ではなかったからいいんです。その代わり、英語への興味がわきましたし。
今、世界が近くなっているとは言え、テロが起きたり、戦争がまさに起ころうとしている、一触即発の状態です(そんなにひどくはないかな)。そんな中で、私が得たもう一つの大きなものは異文化理解です。寮にはアジアの国々からの留学生がいました。それまで私の目が欧米に向いていたのですが、もっと身近なアジアに目を向け、関心を持つようになりました。同じアジア人でもある程度の壁はあり、戸惑いもありましたが、楽しさと同時にナショナリティを学ぶこともできました。
だんだん長くなってきたのでこの辺でやめときます。何度も言うようですが、
”これからもできるかぎり出会った人の多くとかかわりをもっていきたい”
です。オーストラリア、特にこの学校で出会った人達は、私にとっての自信の糧なんですから。
「お気に入りシリーズ」完結・・・。
仕事でオーストラリア(しかもメルボルン)の人と取引してる(と言っても、相手は日本語ベラベラ)ので、オーストラリアが常に身近に感じます。またいつか帰れるかな、とひそかに期待しながら・・・。
さて、やっとその気になりました。「オーストラリアお気に入り」シリーズ、私の中での第一位を発表しま〜す!
私がオーストラリアで最も好きな場所、それは私が7ヶ月過ごしたToorak Collegeです♪
Y12(私がいた時のY11)が卒業する前にもう一度行きたかった、行けると思っていたのですが実現ならず・・・でも今でも生徒の何人か、スタッフの何人かとはメールでやり取りしています。本当は毎日つづっていた日記ですが、こちら(ネット上)ではマンネリを避けるため時々しか載せませんでした。今回特に取り上げて話すことはありません(一昨年←もう「一昨年」なんだぁ・・・だんだん遠くなっていく・・・)が、ざっと振り返ってみたいと思います。
Toorakに決まったのは2001年の3月下旬くらい。出発の1ヶ月前でした。一応、エージェントの方で、オーストラリアのどの辺りを希望しているかということを聞いてくださったので、私はオーストラリア=東海岸という漠然としたイメージで、「できれば東海岸」と希望を出していました。1ヶ月前になってまだかまだかと首を長くして待っていたところへある一本の電話。
エージェントの方:「ゆきてぃさんの研修期間と希望地を考慮すると、今Toorak Collegeという学校が候補にあがっています。女子校で、小学校から高校まである学校なんですが、この学校に派遣されるとホームスティではなく寮になってしまうのですが、いかがですか?」
私は中高と女子校だったのでどうしようか一瞬迷いましたが、同じ女子校とは言え国が違うし、寮という響きにもちょっと惹かれ、二つ返事でした。
実は後から知ったことですが、この2〜3日前に、ちょうど私と同じ時期にアシスタントを始める人(シドニーの研修で会いました)に同じ話があったそうですが、彼女は断ったそうです(理由は忘れました)。彼女が断らなければ私はまた別の学校に行っていたわけで、タイミングって大事なんだなぁとつくづく思いました。
それから1ヶ月が経ち、いよいよToorakへ。2学期が始まる前前日に初めて学校へ行きました。寮は学校の敷地内にあります。あの日の天気や風の様子、日の落ち具合、気温など、ビデオに収める以上に正確に私の脳裏に焼きついています。
出発前に何度か寮の夢を見ました。キリスト教の学校だと聞いていたので、映画に出てくるような「シスター」っぽい服装でかなり上品(Toorak Collegeはお嬢様学校として有名だそうです)だと思っていたのに、いざ行ってみるとスタッフ以外は95%アジア人で、しかも日本人も6人いて、それに寮内でも走り回っていたり大きな音で音楽聴いていたりと、ギャップはあったものの、緊張感がほどけていくのがわかりました。
私がこの学校で得たものは自分への自信です。寮であったためかなり色々な人に助けてもらった(生徒にも)ので、自立にはつながっていないと思いますが、自分の軌跡を残すことができたこと、初めて「自分のためだけなく、人の役にも立てた」と思えたこと、大学受験以上に「頑張った」といえるものがあったこと、これらが自信につながりました。特に、就職活動の際、どうしても「これを頑張った」といえるものがありませんでした。だから就職活動を中止し、あえてこのような道を選んでみたのですが、その時点では、それが正解だったのかどうかはわかりませんでした。でも、今は胸を張って「頑張った」って言えます。英語力は伸びませんでしたが、それが目的ではなかったからいいんです。その代わり、英語への興味がわきましたし。
今、世界が近くなっているとは言え、テロが起きたり、戦争がまさに起ころうとしている、一触即発の状態です(そんなにひどくはないかな)。そんな中で、私が得たもう一つの大きなものは異文化理解です。寮にはアジアの国々からの留学生がいました。それまで私の目が欧米に向いていたのですが、もっと身近なアジアに目を向け、関心を持つようになりました。同じアジア人でもある程度の壁はあり、戸惑いもありましたが、楽しさと同時にナショナリティを学ぶこともできました。
だんだん長くなってきたのでこの辺でやめときます。何度も言うようですが、
”これからもできるかぎり出会った人の多くとかかわりをもっていきたい”
です。オーストラリア、特にこの学校で出会った人達は、私にとっての自信の糧なんですから。
「お気に入りシリーズ」完結・・・。
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