原爆投下は、たった一語の誤訳が原因だった…。
突きつけられたポツダム宣言に対し、熟慮の末に鈴木貫太郎首相が会見で発した「黙殺」という言葉。この日本語は、はたしてなんと訳されたのか。
(「歴史をかえた誤訳」背表紙より)
振り返ってみたら(って、たいして長くないけど)、
私って、言葉に関する仕事にめぐりあうことが多いなぁと思いました。
この本は、私が翻訳会社に勤め始めたころに出版されたもので、
書店で一度読んでみたいと思っていたものの、
毎日たくさんの文字を目にする仕事だったので、
仕事以外で活字に触れることに消極的で、
そのうち仕事も離れ、読む機会を逸してしまいました。
が、
このたび、語学学校で知り合ったかおりんにお借りして、
何年か越しで読むことができました(かおりん、ありがと!)
(オーストラリアでこの本をよむなんて不思議~!)
作者の鳥飼さんは、同時通訳の草分け的存在で、
通訳も翻訳もなさる方で、
NHKの英語番組にはよく出ていらっしゃいますよね。
私にも、翻訳者を目指した時期がありますが、
鳥飼さんは雲の上の人でした。
さてさて、この本の内容。
結構難しいです。
誤訳が招いてしまった歴史的な大事件が具体的に記述されています。
戦後の日米外交にも触れ、
興味深い内容はさらに続きます。
でも、今の私にとって面白かったのは、
歴史的な誤訳、ということよりも、
後半のテーマになっていた、
文化はどこまで訳せるか
というところでしょうか。
今、私はイギリスの天気予報原稿を作成する仕事に就いていますが、
同じクイーンズイングリッシュのはずのここオーストラリアでは、
同じ天気でも若干異なった用語が使われています。
それはおそらく、
イギリスは不安定な天気が常である一方、
オーストラリアは大体において安定した天気が続きます。
そういう背景があって、使われる言葉が異なるんだと思います。
また、日本語教師をしていると、
「〇〇〇は日本語でなんていうの?」とか、
センテンスをくぎって、それぞれに英語の訳を当てはめようとする人がいます。
例えば、
「申し訳ございません」
これって、「申し訳」と「ございません」に分解されると思うのですが、
英語にすると、それぞれexcuseとnot exsist、
つまり、no excuseということで、
日本語が持つ「謝罪」の意味にはなりません。
言葉を学ぶということは文化を学ぶこととニアリーイコールであり、
この本の「文化はどこまで訳せるか」というテーマは、
言語学習者、もしくは教授者、さらには異なる言語を扱う人にとっては、かなり重要なテーマだと思います。
日本語の先生になって5ヶ月目。
まだまだひよっこで、四苦八苦しています。。。
コメント
そして、今半そで&短パンでラップトップ触ってる自分が何だか不思議。
ってほんとに暑いんですわ~。して、この本。あの後バッパーで軽く読んで、荷物減らす為にほんだらけに他の本とまとめて売ったんで、行ったらあると思います…まぁしかしほんと文化背景は大事ですよね~。
帰りの飛行機で隣の人がパース出身の人で節約の為何も食べず、寝てばっかりいる私に映画見れるキットかしてくれて、見ず知らずの人にもやさしいって。まっスゴイかわいそうに見えたのかもね。で、帰国して私もAUSでの生活を忘れず電車では席を譲っております。したら優先座席に座ってた若者も譲りだして、連鎖していってましたわ。なんだか気分良くなったさー!!日本文化も大事だけどAUSでの良い所をこっちで広めるのも大事だね。
久しぶりの書き込みありがとう!
日本はいかがでしょうか。
またしばらく日本に戻らないだろうから、
あと2週間弱、日本の夏を満喫してくださいね!
本ありがとう♪