お久しぶりです(このセリフで始まる日記多いなぁ・・・)。今日のテーマは予告通り、「これから日本語教師アシスタントをされる方へ」です。考えてみたらもうオーストラリアではターム2が始まっているのですよね。遅れてすみません。行く前に何かお役に立てたらと思っていたのですが、すみません。それにオーストラリアに派遣された方の多くはインターネットで日本語を見られないかと思いますが・・・。
 さて、アシスタントとして何が必要か、これは人それぞれ違うと思いますが、私は、生徒に日本を知ってもらおう、好きになってもらおうとすることです。当たり前といえば当たり前ですが、これが意外と難しかったです。英語みたいにアルファベットを使う言葉ではないし、文化も全く違う。多民族国家に生まれ育った生徒達には、日本の単一民族国家で形成される文化は時には不可解です。それに、何が日本のいいところか、ずっと日本にいた私にははっきりと言うことができませんでした。運良く、私のいた学校には日本人が多かったので、一人で悩むことはなく、私以外の人も一緒に日本を伝えてくれました。一番いいのは生徒と仲良くなることなのかもしれません。ただ、ここで難しいのは、生徒と同化してはいけないということ。アシスタントは先生でもなく生徒でもない、中途半端な存在です。だから休み時間なんか居場所に困ったものですが、かえって、その半端な立場をうまく利用して、先生・生徒双方からの不満を打ち消す役もできるのです。学校によっては、アシスタントと生徒が仲良くするのをよく思わない学校もあるそうですが、大抵は歓迎されるようなので、なるべく生徒とコミュニケーションを取れるようにすることが大切なのではないでしょうか。日本をしってもらうのはそれからです。「先生」としていくわけではないので、自分も楽しまなきゃ!日本を知ってもらう以前に自分を知ってもらえば、教えるときにも話しがスムーズに進むと思います。
 それと、これとは関係ありませんが、ビザについて。アシスタントとして渡豪(すみませんが、オーストラリアに限定させていただきます)するとき、いくつか選択できるそうですが、私の経験上、ワーキングホリデービザでいかれることをお勧めします。私はボランティアビザというので行ったのですが、万が一お金がなくなった場合(万が一現地の人にお金を借りても、オーストラリアの銀行は、「振込み」するのが難しいようですので、振り込んでお金を返すというのは大変みたいです)、大変な思いをします。1セントでもお金を稼ぐとビザを壊されます。現地で日本語教師アシスタントをしながらお金を稼ぐのはまず無理ですが、ホリデー中やアシスタント終了後などに経験として働くことがきます(ワーキングホリデービザを持っていたらの話ですが)。日本人が働ける場所はジャパレスくらいしかないみたいですけど、それもいい経験ですよね。私もちょっと働いてみたかったな、と思います。お金の問題は別として。
 私が日本語教師アシスタントを経験してよかったと思ったことは、自分の国に対する意見を持ったことです。日本にいて日本を見るっていうのは難しいことですね。日本のいい所も悪い所も見えるようになりました、ほんの少しですけれども。自分の国を知ることができてよかったです。
 これらの経験を今後いかに生かすか、今でもよくわからいません。私がやりたいと思っていても、それを実践できるかわからない(会社が私がそれをするのを求めていなければどうしようもありませんから)ですし、今の日本ではまだ機会が限られてくると思います。
 本当はもっと伝えておきたいことがあったのに。ダメですね。逐一メモっておかないと忘れてしまいます。
 次は弾けた日記を書いてみようかな。今期から日本語教師アシスタントをなさる方々、頑張ってください。何だかの形でご自分に返って来ると思います。終了後には、違ったものが見えてくると思います。
 一度増えた脂肪はなかなか元に戻りません。食生活には充分気をつけて下さい!!!

Welcome to Japan!

2002年4月8日
お久しぶりですね。もう4月になってしまいました。
オーストラリアを立ってから1ヵ月が立ちました。そして昨日、私は24歳になりました。年女です…。
それはさておき、この1ヵ月私は何をしていたかというと、何もしていません。かなりLAZYな毎日でした。友人の結婚式に参加した後、すぐにインフルエンザになってしまい、なかなか治らずとうとう1ヵ月が経ってしまいました。ゴールデンウィークには働くという私の帰国時の目標は目処が立っておりません。でも、この1ヵ月色々考えました。日本に帰ってきて、家にいることが多かったものの、たまに東京に出てみて、外人さんのなんと多いこと!これは嬉しかったです。みんなも、私がオーストラリアにいた時のように、海外での生活を満喫してくれていることを願います。それと同時に、日本語教師アシスタントとして生活した8カ月は、私にとってはものすごい大きなものでした。というのは、日本と言う国を、自分の国でありながら「外国人から見た日本」という違う視点での見方を知ったからです。オーストラリアの文化(つまり多文化ということになります)との比較から、日本の良い点、悪い点がわかったということは以前にも書いたことですが、日本に帰ってきていざ現実を目の前にすると、悪い点ばかりが見えてきてしまうのです。ものの質がいいとか安全だとか、もちろんいい点はたくさんあります。けれども、オーストラリア人がシドニーの人を冷たい感じがする、と言うように(もちろん一般的ではありませんが)、東京はなんとなく冷たい感じがするのです。それと、友人はもう社会人2年目として頑張って働いています。1年間働きもしないで夢のような毎日を送っていた私とは違って、厳しい世界を見てきたみたいです。取り残されたような孤独感はありませんが、話が合わなかったり、私の今の気持ち(日本人だけど、日本の現状をまだうまく受け入れられない、というような気持ち。あまり上手に言葉にはできませんが、私と同じように思っている方はいると思います。これが原因で就職に抵抗を感じているのですが・・・)をわかったもらえない淋しさはあります。まあ、これは私のわがままでしかないので、この辺で止めておきます。
さて、予告した通り、生徒が東京へ遊びに来た時のことを話しましょう!生徒13人と先生2人は4月2日に東京に着きました。日本人の生徒と一緒に案内(と言ってはずうずうしいですが)することになっていました。まず、東京駅の大丸でみんなはお弁当を買い、その後皇居近くの公園でお昼(3時ごろ)を食べました。まだ桜が散っていなかったので、桜を見ながらのランチ。その日の最高気温は28度だったそうで、桜を見ながらも、生徒は半そでにサングラスという季節はずれの格好でした。そのあと、浅草へ。1時間半の自由行動で、私はY12の生徒と一緒に仲見世通を歩きました。春休みだったこともあってとても混んでいました。実は、お店よりも浅草寺の方が興味があるのでは、と思っていたのですが、浅草寺には全く興味なさそうでした。ただ、生徒2人が引いたおみくじが「凶」だったことには(2人とも凶だった)驚きました(私は生まれてこの方、凶を引いた事はありません!)。生徒は扇子を買ったり、絹のバッグを買ったりしていました。買う時はもちろん日本語ですよ!お店の人の数字もちゃんと聞きとって、私はあまりお手伝いすることがありませんでした。集合時間より30分くらい前には生徒はみんな雷門の下に集まって座っていました。新幹線での長旅に疲れたのでしょうか。その間に私はみんなに人形焼を買ってあげました。和菓子ですが、みんなおいしいといっていました。餡子はどうやら大丈夫なようです。その後ホテルに荷物を置きに行き、夜の渋谷へと参りました。渋谷はたまに教科書に出てくるので知っている生徒がほとんどでした。でも、駅前のスクリーンや電灯の(?)多さに感動して写真を摂ったり、いわゆる「ギャル」と一緒に写真を撮ったり、みんな写真を手放しませんでした(山手線内浜松町〜渋谷でフラッシュが絶えなかったのは、私達の団体のせいです。すみません。みんなぎゅうぎゅうの電車にびっくりしていました。オーストラリアでは、立つことはあまりありませんので・・・・)。日本人の生徒の案内で、ちょっとかわったレストランへ。「異次元空間」というレストランで、日本語のメニューにトラブりながらも、そのレストランの演出にみんな大興奮!楽しい時間はあっという間に過ぎ、渋谷でショッピングの予定がなくなってしまいました。最後に、生徒4人とプリクラを撮り、この日は別れました。次の日、彼女達はディズニーランドへ行き、楽しい1日を過ごしたそうです(私は風邪がひどくなってしまったのでその日は自宅にいました)。そして、東京での最終日、午前中生徒達は原宿でショッピング、私は午後東京駅で待ち合わせて見送ることにしました。お餞別に、一人一人に手紙を書き、札幌土産と小さな雑貨をプレゼントしました。私にとって、これが最後の「日本語アシスタント」。別れ際は寂しかったですが、今回は見送る側だったので、涙は流しませんでした。英語で手紙を書いたので(しかも文面がだぶらないように努力したので)、かなり時間がかかりましたが、あの手紙を見て、たまには私のことを思い出してくれるといいな、と思っています。今、彼女達は神戸の姉妹校に通っています。みんな楽しんでいますように。
それと、その修学旅行とは別に、去年のY12の生徒が日本に1年間留学で来ました。3月末に彼女が研修をしているという幕張に会いに行きました。そして、彼女は8月にお母様と東京へ旅行に来る予定で、またその時に会う予定です。というわけで、これからもみんなとは無理ですが、一部の人とは交流が続いていきそうです。オーストラリアで出会った人々は私にとって、宝物です!!
今日は長くなってしまいました。次は「これから日本語教師アシスタントに行かれる方へ(仮題)」。

日本からこんにちは!です。
12日に日本に帰ってきました(でも、「帰ってきた」というより、「遊びにきた」っていうかんじの方が強いです…なぜか)。日本は思ったより暖く、南半球の延長で洋服そのまま着ています(日本の服は今の私には小さすぎて入らない)。毎日部屋の片付けをしつつ、鈴木氏速報、ワイドショーにはまっています。
 オーストラリアを立ってからはシンガポールに3泊し、うち1日は日帰りでマレーシア観光もしました。オーストラリアに滞在中、たくさんのアジア人に出会い、それまで私の関心が欧米に向いていた(アジアは近いので年取ってからでも行けると思っていたので)のですが、今はアジアに嵌っていて、シンガポールではアジアン三昧でした。でも、ヨーロッパに行った時の反省を繰り返すのですが、やはり観光するからにはその国の歴史くらいは(風土・習慣は実際に見た方が面白い)予習しておくべきでした。日本は戦時中シンガポールを占領していたから、今でもその歴史を引きずり、日本人観光客に対していい印象はないのでは…(オーストラリアの人の中に、日本人キライが結構いたので)と少し心配だったのですが、逆にシンガポールでは日本人ブームみたいなものがあっていやすかったです。きれいだし、モノはいいし。シンガポールに限らず、アジアの各国では友人いわく、日本は今のところ憧れの的だそうです。そうそう、シンガポールはオーストラリアみたいに、色々な人種が集まる国でした。それぞれの文化を認め合う居心地の良い国でした。
 さて、オーストラリアを出る時、シンガポールを出る時、日本に着く時の3回、飛行機の中で泣いてしまいました。「なんで日本に着く時に泣くの?」っていう感じなんですが、この1年間(もなかったけれど)ものすごく充実し、私自身Broadned and grown up(→日本語でどう表現したらいいのかな?)しました。そしてそれがかなったのも、私が過ごした環境だけではなく、出会った人がすばらしかったからだと思っています。飛行機に乗る時間が長ければ長いほど、そういう人達との距離が離れてしまい、それが辛くて泣いてしまったのです。今でもメールを通して連絡をしていますが、それでも
距離は埋められません。日本を離れてから日本の友達との連絡が日増しに途絶えるようになってしまったようになりはしないかと心配です。言葉の問題もありますし。
 それと、日本に帰ってきてから4日目になります。まだ近所を離れていないのですが、日本という国を外から見るようになった自分に気づきました。日本語教師アシスタントをしていたせいか、あちらでも「日本」を離れることはなかったのですが、いざ帰ってきてみて、なんとなく違和感があります。これがどういうことなのか分かりませんが。日本人として日本で暮らすと、日本の良さが見えなくなります。この文章、ちょっと語弊がありますが、つまり私が何をいいたいかと言うと、日本を離れるまで日本の良さがわからなかったし、それがある意味当然と思っていました。けれども、特にインドネシアに行ってみて、いかに日本が恵まれているかを知りました。また、今は経済大国として位置付けられている日本ですが、発展途上の他のアジアの国々を見てみると、その日本の位置もすぐにぐらつくのではないかという不安も持ち始めました。今の私の疑問のひとつは、”幸せ”の基準です。幸せは自分だけが感じられるものなのか、それとも他の国や人と比べてみて感じるものなのか、それともその両者か。私にとってはマザーテレサの世界だった「貧困」を目の前にしてから、絶えず繰り返す疑問です。
 話が飛びました。今後の私は…というと、とりあえずはダイエット、そして日本で働くつもりです。それと、この日記は、今月末〜来月上旬とオーストラリアから生徒が来るのでそれまではたまに書きたいと思います(カウンターが動いていないので、「この日記読んでる人いるの?」と母に言われました。どうなんでしょうか??)

Hello, again!

2002年3月6日
先週、メルボルンへ行ってきました。この旅行の締めくくりとして、研修校を選びました。他にも行ってみたい所(特にワーホリの間で言われている各地の「宮崎駿ワールド」へ)はたくさんあるのですが、そこへ行く時間とお金をやはり最終的には7ヶ月過ごした学校へ費やしました。
 学校には3日だけお邪魔しましたが、行ってよかったです。今年になってまた少し学校が模様替えをし、時間割も少し変わっていました。特に顔なじみのスタッフや生徒と再会できたのは何よりの収穫です。3人の日本語の先生の授業に参加させていただき、また、(この時期新しいアシスタントがいなくて)アシスタントの仕事もすることができました。みんな新しい学年になり、ちょっとお姉さんになっていました。学校を去ってからまだあまり月日が経っていないので、授業に参加させて頂いてもすぐに生徒の輪に入れました。一番印象に残っているのは、Y12の生徒の1人(インドネシアに行った時お世話をしてくれた子)が私に日本語の日記のつけ方を教えて欲しいと言ってきてくれたことです。それから、その他のY12の日本語に対する熱心さにも感心しました。でも、次のアシスタントは今までのアシスタントとちょっと違うものになると思います。
 帰る時にはやはり今回も泣きそうになりましたが、今回はこらえました。次に行った時のステイ先もあり(スタッフが「ぜひ」と言ってきてくださいました)、10月のボーディングハウスのフェアウェルディナーにももう招待してもらえましたので、また来るいい口実ができました。でも本当にまた来られたら、と思います。
 さて、今はまた友達のおうちでお世話になっております。彼女は日本食を作ってくれるのですが、やはりヘルシーですね。帰国を目の前にして、「最後にオーストラリアの料理を食べてかえらなきゃ!」と思うのですが、思いつくものは甘いものばかり・・・。最後になって、一体何をしようか迷っています。また戻ってきそうな気もするし、こなそうな気もするし・・・。
 もうアシスタント奮闘記は終わり(とっくにアシスタントは終わっています・・・)ですが、今後の経過をもう少し書いて行こうと思っていますので、あと少しよろしくお願いします。(来月、学校の旅行で生徒が日本に来ます。その時一緒に東京を回る予定なので→勿論案内役として、そのことについても書きたいと思います)。
 『Splash』『Cheers』という日本語情報誌に私の日記の一部と写真を載せていただきました(byエージェント)。機会があったら見てください。小さいですが。
 

300日になりました

2002年2月21日
こんばんわ。今私はシドニーにいます。今月の15日で日本を立ってから300日が過ぎました。今振り返ってみていえる事は、「オーストラリアに来て良かった」という事です。この旅行もあと2週間となりました。最後をどうしめくくろうか考えた末、やはり一番思い出深い、メルボルンの学校を訪問して帰ろうと思います。今度はただの「ビジター(visitor)」ですが、みんなに会うのがとても楽しみです。それと、先日10ヶ月ぶりにエージェントにお邪魔しました。そこで、なんと、私の写真をエージェントの広告に載せてくださるとおっしゃってくださったのです!わーい!あと、エージェントのHPのリンクとしてここのURLが出てました。
これからの問題は、帰国後のことです。正直まだ迷っています。小さい頃の夢が捨てられない一方で、こちらに来て得た経験をもとに何かできないかとも考えています。あー、どうしよう。
ところで、私はバンクカードをなくし、かなりの金欠です。前はクレジットカードでおろしていたのですが、限度額を超えてしまい、今あるのは20ドルのみ。現在、中学以来の友人&Her boyfriendのお家にお邪魔させて頂いています。彼女は英語で会計の勉強をしていて毎日大変そう。。。その一方で私は毎日フラフラしていてなんか悪いなぁ。。。でも一緒に英語の勉強したりいい経験です。
帰国日が3月12日になりました。

あと1ヶ月

2002年2月7日
 今ブリスベンにいます。ブリスベンはケアンズと違って都会で、大きなビルが立ち並んでいます。バスからブリスベンを見て、東京に似た印象をもったのですが、オーストラリアの*いなか*の雰囲気になれた私にとってはなじみにくいところです。
 今日は牛丼を食べました。数ヶ月ぶりにお箸を持ってちょっと緊張・・・日本食は*ヘルシー*だとこちらの人には人気です。
 さて、私は昨日まで、オーストラリアの13の世界遺産のひとつ、フレーザーアイランドに行ってきました。3日間の4DW・セルフドライビングツアーです。私にとって最後のキャンプを楽しみました。そこでは主に湖に行って泳いだのですが、水がとってもきれいで、まるでプールのようでした。
 このあとはゴールドコーストにいってもう一度ダイビングをしてそれからシドニーに行きます。毎日が単調化してきてもったいない・・・。来月にはオーストラリアを出ます。このアシスタント記ももう終わり(もうアシスタントではありませんが)です。帰ったら本当にどうしようかな・・・。

Get it!

2002年1月31日
Hello. I am now in Cairns.
I went to outer Great Barrier Reef to get the scuba diving lisense. And I got it today! I am really impressive. Next time I would like to dive in Gold Coast if money permits...I got a big sunburn everywhere! It is so sore....I enjoyed diving very much though.

DIVING!!

2002年1月29日
 真夏のオーストラリアからこんにちは!私は今まだケアンズにいます。ここには1週間の予定でしたが、スキューバダイビングのライセンスをここで取る事にしたのでまだここに居座っています。ケアンズは本当に日本人が多い!噂には聞いていたけれども、特に新婚さんが多いです。町の中を歩いていても、殆どの看板に英語と日本語が平気してあります。
 さて、私は3週間前から体調を崩していたものの、帰国日が決定したため(3月13日、オーストラリアには8日まで滞在予定)、毎日を大切にしつつ、思い切って、スカイダイビングとラフティング、サイクリングに挑戦しました。サイクリングは大した事ないのですが、私にとって初めてのマウンテンバイク。日本人はあまりサイクリングツアーには参加しない様で、ツアーコンダクターの方はちょっと私の扱いに困っていました(多分)。また、ラフティングは2時間のバロンリバーという所で。この辺では2番目くらいに有名なリバーです。そしてスカイダイビングはそれはもう素晴らしいものでした。初めてだったので、一番低い8000フィート(3100メートル)からのジャンプ!タンデムというインストラクターと一緒に飛ぶダイビングなので安全でした。役15秒間のフリーホール中は、鳥になった気分!ケアンズの町を上から見下ろしてしまいました!最後のパラシュートは気持ち悪かったけれど、とてもいい経験になりました。一般に、スカイダイビングはオーストラリアでは誰もが気楽に楽しめるスポーツだそうです。ケアンズ方面にいらっしゃった方はぜひ挑戦してみてください(パンフレットを見る限りケアンズのスカイダイブが一番安そう)。
 そして今はスキューバーダイビング・4DAY 日帰りコースを受けています。本当はバンダバーグという日本人オススメの所でしようと思ったのですが、グレートバリアリーフを見るにはやはりケアンズ、というのが通念のようで、ルームメイトの薦めもあり、今学校に通って2日目です。明日はいよいよリーフ付近でのダイビング!船酔いが心配ですが、すごく楽しみです。明日は2回ダイブする予定です。天気がいいことを祈っています。
 この後、フレーザーアイランド、ブリスベン、ゴールドコースト、シドニーと回ってオーストラリアを出る予定です。ケアンズには今週いっぱいでさよならするつもりです。今、有給ラッシュ時なんでしょうか?知り合いが結構オーストラリアに来ているみたいです。オーストラリアいいところですよ。日本人にとっては特に居心地のいいところだと思います。寒くないですしね。
 そういえば、三和銀行なくなっちゃんですか!?私の口座はどうなってるのかなぁ。
 いつもメールを下さっている方、ありがとうございます。私の泊まっているバッパーは日本語入力できなくてお返事が遅れてしまってすみません。日本語入力するのにシティまで出ないといけないので・・・。遅れますが、必ずお返事します。

アジアン

2002年1月21日 旅行
 こんにちは。
一昨日インドネシアから帰って来ました(オーストラリアに)。そして今日ビザの更新をしてきました。バンクカードをなくしたので、もしかしたら更新できないかと思っていたのですが、大丈夫でした。ビザの更新をする人は毎日たくさんいるそうですが、なかなか更新できないのが現実のようです。結構厳しいんですよ、オーストラリアのイミグレーションって。多分日本の場合もそうだと思いますが。
 ところで、インドネシア(ジャカルタ)についてちょっと書きたいと思います。
 1週間いたのですが、その間、ホテル滞在でした。でも日中は生徒がショッピングセンターなどに連れて行ってくれたり、インドネシア料理を食べさせてくれたりしました。インドネシアは物価が安い(日本から見れば。特に食材は日本の半分以下!)けれども、たくさんの貧しい人々も見ました。あらためて、自分が日本人に生まれてよかったなと思います。一緒に付き添ってくれた生徒はインドネシアでも生活水準のきわめて高い生活をしているようです。私は日本人にはやはり見られなかった(コリアン、ごくまれにヨーロッパ系、どこの国かはわかりませんが)ものの、観光客=お金を持っていると見られ、お金をせびられることもしばしばありました。それとチートされる危機にも遭いましたが、生徒が助けてくれました。一人では1週間も滞在できなかったと思います。言葉がわからない分、フランスの夜(詳細はここでは省略させていただきますが、フランスに着いた初日の夜、フランス人のおじさんに付きまとわれ、挙句に迷子になるというハプニングがありました。午後11時)以上に恐い思いをしました。ジャカルタは首都であるだけに大きなビルもありました。フジフィルムの看板やトヨタの車はなんとなく心強かったです。また、インドネシア独特のトイレのハプニングも。インドネシア人はトイレットペーパーを使わないんですよ。その代わり、ウォシュレットみたいなのを使うんです。
体調が悪かったので食べ物を楽しめませんでしたが、また新しい国の文化を知ることができ、そして生徒との交流が少しでも深められたので良かったです。最近、アジアンになってきました。他のアジアの国も見てみたいです!
追伸。インドネシアから帰ってきてメールを見たら、容量オーバーで全てのメールが消えてしまいました。申し訳ありませんが、これを見て下さっている方、空メールでよろしいので、メールを送ってくださいませんでしょうか。恐れ入ります。

Oh my goddness!

2002年1月19日
I just came from Jakarta, Indonesia, but unfortunately I lost my bank card, so I can not stay here so long...otherwise I will be expeled by the Australian government...I am so shocked.. I wanted to write about Jakarta, but I can not do now... Sorry...

Long way home

2002年1月10日
お久し振りです。
今私はパースという所に来ています。何故かパースにはメルボルン以上に日本人が多くて、私が泊まっているバックパッカースの半分以上は日本人です。みんなワーホリですけれども。
パースは夜景がきれいな所です。今度オーストラリアに来る時には、西海岸(インド洋沿い!!)を下ってみたいと思っています。ここでは2日間、1デイツアーに参加し、Margaret RiverとPinnaclesという所に行ってきました。またまたオーストラリアの自然の雄大さに感動しました。今夜はパース最後の夜なので、サンセットシネマを見に行ってこようと思っています。これは、サンセットをみながら屋外で映画を見るというものです。今日の映画は古い映画なのですが、ワクワク・・・。
パースは暑くも寒くもなくちょうど良いです。パースに人がいっぱい集まる理由が何となくわかります。
明日早朝ジャカルタへ行きます。私のオーストラリア周遊計画は、このジャカルタ旅行が終わったら半分おわりとなります。お金使いが結構あらいのですが、これらの旅行から何か得て帰りたいと思います。
追伸。これからケアンズへ行こうと考えていらっしゃる方へ。ケアンズは今雨季だそうです。私は、雨季はNTしかないものだと思っていたのですが、ケアンズにもあるそうです。ケアンズでのんびりしようと考えていたのですが・・・知りませんでした・・・。ダイビングどうしよう・・・。

A Happy New Year!!

2002年1月3日
明けましておめでとうございます。
私はメルボルンのインターネットカフェにいます。最後のメルボルン(ここには半年滞在しました)、ゆっくり歩いて景色を楽しみたいのですが、何せ荷物が大量にあって、それどころではなく、インターネットカフェでメールやホームページを楽しんでいるところです。
残念ながら、メルボルンでは真夏の年末年始を過ごすことができませんでした。あいにくの雨でストーブをたくほどでした。でも、オージー流の年末年始の過ごし方を体験することができ、何よりです。
学校が終わって約1ヶ月。この間、タスマニアで「
魔女の宅急便」探しに夢中になったり、山登りをしたり、メルボルンでクリスマス、お正月を体験したりと充実した毎日を送っています。そして今晩、ここメルボルンを離れ、パースへと向かいます。今夜の9時半にここを出発して、何とパースに着くのは6日の9時半なんです!オーストラリアを横断するだけでこんなにかかるんです。東京から福岡まで青春18切符で行っても19時間だそうですから、オーストラリアがいかに大きいかがわかります(ちなみにオーストラリアは日本の22倍の面積です)。その後はオーストラリアを離れ、シンガポールを経由し、ジャカルタへ生徒に会いに行きます。インドネシア語を話せませんが、生徒に会うのはとても楽しみです。その後はケアンズでダイビングをし、バスで東海岸を下って、シドニーにあるエージェント(私が所属している)と友人の所によって帰ります。パスポートの申請が上手く行けば2月末までいるつもりです。
年が明け心新たに・・・。私の今年の目標は、?(ギネスに載るほどすごいものではないけれど)記録的な速さで増えてしまった(増えすぎてしまった)体重をもとに戻すこと?将来設計をすることです。こちらに来ていろいろ考えが変わり、今自分がどうしたいのかわかりません。この1ヶ月だけでも、旅好きになり、旅行を続けたいと思う一方で、やはり経済的な面からちゃんと職に就かなくてはいけません。帰る頃にはきちんとさせたいです。
さて、そろそろ駅へ参ります。夕食はマックでハッピーミールを食べることが目標です。メルボルンではまだまだ見ていない所がたくさんあります。せめて、「地球の歩き方」に載っている所くらいは制覇したいと思っていたけれども、平日は学校でしたし、郊外に住んでいたのでなかなか機会が作れませんでした。だから、これを口実にまた近いうちにメルボルンに戻って来たいです。今度のY12が卒業するまでにこちらに戻ってくるのが今年の目標かな。


Farewell to everyone.

2001年12月7日
 今日は最終日でした。予想はしていたのですが、もう見るもの全てがいい思い出なので、今日はずっと泣きっぱなしです。
モーニングティーの時間に日本語の先生からオーストラリアの本(しかも分厚い)を頂きました。もうずっと泣きっぱなしで、一言言ってと言われたのですが、「泣く」どころか「泣きじゃくる」状態で、言葉が出てきませんでした。今もこうして書いていても涙が止まらない状態です。今日は全員の先生方がいるわけではないので、モーニングティーはとても静かでした。今日学校に来ているのはY7、8だけでした。
 これからお昼ご飯を食べてY7、8だけのアセンブリーに行きます。夕方業者に荷物をとりに来てもらって、夜は先生のお友達のお家でお食事会があるそうで、それに行くことになっています。
 今私は寮にいるのですが、もうここには5人くらいしか生徒が残っていません。静かになった寮はすっからかんでとても寂しいです。この寂しさが却って涙を誘うんですよね。
 昨日、スタッフのメーリングリストでthank you mailを送ったところ、お返事が来ていました。最後だから学校に行きたい(「行きたい」というか、校舎はここから徒歩1分なので、こういう時どんな表現をすればいいのでしょうか?)のですが、色々な先生に「Good luck」とか「Have a wonderful time」なんて言われると悲しくて仕方ないんですよね。色々なことがフラッシュバックして来てハンカチ(久しぶりに使いました。こちらのトイレにはペーパータオルがついているのでハンカチを持ち歩く必要ないんですよ)を手放せません。泣くんだったらもう少し上品な泣き方をしたいなぁ…。
 あー、辞書を箱につめてしまいました。これからは英英辞書で頑張ります。それでは、また☆

乗馬

2001年11月10日
 The Duke of Edに参加する機会を得ました。これは国際的な活動で、これに含まれる活動を全部終わらせると就職などに有利になるそうです。私は前回Bushwalkingに参加し、今回はHorse Ridingです。アメリカに行った時に落馬したことがある私にとって、乗馬は“怖いもの”というイメージが強かったのですが、これには色々な人からの推薦があり、もう二度と経験することないであろう(日本だと高いから)乗馬に挑戦しました。
 朝8時半に生徒Y10と11の生徒11人(数人、日本語の授業をとっているので知っています)、スタッフ2人、ドライバー1人(+私)が来て、バスはNSW州の州境近くのMurray River沿いの村へ行きました。途中、Sheppartonで休憩をとりました。そこで、私達は結婚式を見たのですが、日本の結婚式よりもだいぶ規模が小さくて、花嫁ドレスもちょっとカジュアル。そして、花嫁さんがドレスを着て煙草を吸っていたのはショッキングでした。
 途中休憩をしたものの、バスで5時間かかってやっとHorse Riding Trailに到着…すると、目の前から馬に乗った人がバスに向かってくるではありませんか!そして、馬から下りてバスに乗り込み、おもちゃのガンでバンバン打ちながら、私達に「靴をよこせ」と言っていました(訛っていて私にはわかりませんでした)。この人は、Padgeといって、私達のHorse Ridingのお世話をしてくださるインストラクターです。とても早口ですが、楽しい方なのだとすぐわかりました。ここのTrailはご夫婦で経営なさっています。今回、ここに来るのは生徒1人と私以外2回目の人が多く、その生徒と私には特に親切に色々と説明してくださいました。たまに日本人の学生も訪れることがあるそうですが、私は付添い人として行ったのに、今日は私だけ外国人だったので、凄く気を使ってくださいました。
 先週はこの辺はとても天気が悪かったそうで、今日は久しぶりの晴れだとか。そのため、ハエの数が凄かったです。一人一人に馬が与えられ、私はTobyというベテランの白馬に乗ることになりました。彼にはこの3日間お世話になります。Tobyはみんなに人気で、「私は前回Tobyに乗ったの」という生徒が多かったです。彼は初めての人にはぴったりの馬だそうです。気立てがいい馬です。けれども彼に限らず、ここの馬はよく手名づけられていて、みんな大人しく感じられました。2人とても上手な生徒がいたのですが、彼女達は除いて、私は他の生徒と一緒のコース・内容をこなしました。乗馬というと、日本では柵の中を円を描いて走るイメージがあるのですが、ここでは、自然の中の決められていないコースをRideします。怖いイメージのあった乗馬でしたが、みんなもいたせいか、それとも今回は以前よりも英語がわかるためか、恐怖心はありませんでした。むしろ期待でいっぱいでした。10メートルくらいの距離を走ったり(counter)、普通にウォーキングしたり…。あっという間の2時間でした。
 戻ってきてからテントを立てて、夕食を食べました。ここはちゃんとタブつきの水道があります。また、トイレは何と説明したらいいのかわかりませんが、日本では絶対になさそうなトイレ。シャワーもあったけれど、誰も浴びませんでした。
夕食後、火を囲んでみんなで歌を歌いました。Padgeご夫婦がギターを弾いてくださって、それに合わせて口ずさみました。考えてみたら、キャンプって日本ではあまり一般的ではないですよね。キャンプそのものの意味もちょっと違うような気がします。テントを張ったり、外で料理をしたり食べたりというキャンプを経験したのは、私がY5の時、しかもアメリカでです。キャンプができる場所が限られてしまうから日本では難しいのかな…。話を戻しますが、私が経験したアメリカのキャンプでもやはり火を囲んで歌を歌いました。その時に覚えた曲は「Where have all the flowers gone?」。そして今回は「Share of the darkness」という曲です。12年前のことが急に蘇ってきました。歌は、不思議ですね。みんなの心が一つになります。何曲かフォークソングを歌ってくれました。私も日本の曲をリクエストされたのですが、何を歌っていいのかわからず、ちょうどワードルハウスでやっている「きよしこの夜」を歌いました。英語でもある日本語の歌を覚えておくといざという時便利です。
今晩は月が見られません。北に上がってきたのにそれでも寒いです。

追伸。「お気に入り」に登録してくださっている方、どうもありがとうございます。私はお気に入りに入れるのが面倒なので入れていませんが、よくチェックさせて頂いています。

200日目!

2001年11月7日
今日でオーストラリアに来て200日になりました。そして日本語教師アシスタントとしての生活もあと1ヶ月となりました。気がついたら半年過ぎていました。今はとても充実していて、毎日がとても楽しいです。そして、これほどまでに時間の大切さを感じたことはありません。1分、1秒もとても大切に感じられます。先週から(Y12がいなくなったため)私の時間割が新しくなり、Keep busyです。
残り少ないのでみんなとの交流の時間を増やしたいと思っているのですが、テスト前でみんな忙しく、普段は混んでいるパワーポイントアダプターも今日はすいていて、(だからこんな時間:夜8時でものんびりとこの日記を書けるのです)とても寂しいです。私は今旅行の計画を練ると同時に、(寮にスティできる最後のアシスタントとして)最後に何ができるかいろいろ考えているところです。

Melbourne Cup

2001年11月6日
 週末暖かい(暑い?)日が続いたと思っていたのに、今日は朝から雨が降っていました。
 8時頃寮を出て、Flemingtonという所へ。今日はGap Students3人、香港の生徒1人、そして私の5人で行きました。朝早くても電車の中はいつもより人が多く、しかもおしゃれな人ばかりでした。みんなカップに行く人ばかりです。以前は、この日はMelbourneに住む人だけの休日だったそうですが、今ではVIC州全体の休日だそうで、飲食店以外は殆どお店も閉まっていました。競馬のための休みだなんて、日本では考えられませんが。こちらに来る前からこの日を楽しみにしていました。有名な「有馬記念」が開かれる中山競馬場の近くに住んでいるにも拘わらず、競馬に行ったことはありません。
 Flinders Street Stationで乗り換えて、Flemingtonという所へ行きました。雨が降っていて寒い(日中の最高気温は13度)というのに、きれいな洋服(ドレス)にきれいな帽子をかぶった、“貴婦人”がたくさん!男の人もスーツ姿の人が多かったです。1861年以来一度も中止になったことがないというこのMelbourne Cup、これからも伺えるように、オーストラリアでは、競馬はある意味生活の一部のようなもので、女の人にも一般的のようです。日本だと「競馬=オヤジ」みたいなイメージがあるのですが。ここでのもう一つの目玉は、女性のファッション。ファッションショーもあるのです。ちょっと前のショーで、30ドルの費用で優勝した人がいたそうですが、はこのショーのために何百万ドル、何千万ドルものお金をかける人も、いるそうです。雨の中きれいな格好をしたお姉さま、おば様方が沢山いたのですが、雨で台無し!鳥肌立てて背中丸出しのドレスを着ている人や、超ミニスカートをはいた人もいました。私は普通よりちょっときれいな格好をして行きましたが、とにかく寒かったです。競馬場は人がたくさんいる上に雨で傘を差している人ばかり…たまに傘がぶつかることもしばしば。そんな中、2人のきれいなお姉さまと傘が重なってしまったのですが、私は初めて面と向かって「Fuc*!Dam*!」と言われました。Oh, my god!
 本日のレースは10レース。うち、「Melbourne Cup」と言われるレースは第7レース目。私は賭けるつもりでしたのに、初めての競馬の上に全てが英語なのでやめました。レース前にシャンペンを飲んでみんなで乾杯しました。オーストラリア中を湧かすイベントとあって、今日は有名人もいたようです。お金持ちの人はたいてい屋内の高い席にいるのですが、私たちは『Neighbors』と言うドラマに出ている人(名前は?)がガールフレンドと一緒にいるところを発見!一緒に写真を撮ってもらいました(ちなみに私はその番組を見たことはあるけれど、その人だと認識できたのは寮に戻ってその番組を見てからです)。
 昼間からシャンペン、ビール、ワインを飲む人ばかりで、中には酔っ払った人もいました。アルコールの勢いか、カップルで来ていた人は人前で抱き合ったり熱いキスをしたり、そして今日は男のゲイを見てしまいました。彼らも男女のカップル同様、一目をはばからず堂々とキスまでしていました。競馬とは関係ない話ですが、最近オーストラリアではゲイに対する運動が積極的になされているようです。好きになった人がたまたま同性だったというだけのことですが、私にはあの光景がかなり異様でした。
 他のレースの時は屋根のある所にいた人達も、15:10のカップレースの時はさすがに雨の中出て来て、レースコースを囲みました。レースの前に馬と騎士のお披露目があったのですが、あんなに可愛い馬達が人間の賭け事のために一生懸命走って、しかも結果が良くなかったら罵声を浴びせられるなんてかわいそうです!結局、3人のGap Studentsはいくらかずつ賭けたのですが、勝ったのは1人だけでした。
 あまりの寒さに、カップレースが終わったら私達はFlemingtonの競馬場を後にしました。歩き回っている間に私のパンプスが壊れ、靴の中に泥や雨水が流れ込んできていました。カップに行く時は、レジャーシートを持ってきた方がいいでしょう。そんな状態でも座る場所がありませんでした。
 寮に戻ってからテレビをつけていたのですが(注:見てはいません。ただつけていただけ。聞き流しています)、しょっちゅう今日のレースの結果に関するニュースが流れていました。寒さ+雨さえなければ競馬は楽しいものかも知れません。残念なことに、寮に帰ってから天気は回復しました。

●    今日の発見●
・    このMelbourne Cupは一連のカーニバルになっているようで、Derby Day、Cup Day、Oaks Day、Stakes Dayがあるそうです。
・    こちらの人が着るレインコートは、ゴミ袋に穴を開けただけのような簡単なものです。もっと丈夫なのもありますが、前者の方が一般的です。

明日は

2001年11月5日
最近全然日記を更新していません。すみません。
明日はメルボルンカップです。
私は日本で中山競馬場という有馬記念が開かれる競馬場の近くに住んでいるにも拘わらず一度も競馬というものを生で見たことがありません。けれども、明日はその競馬に行き、恐らくいくらか賭けるでしょう。わくわく。詳しい内容を載せられるよう、じっくり見てきます!
 今日はとうとうY12の卒業式です!
 例年、卒業式の前日・当日には校内・校外で数人の生徒は騒ぐそうで(その騒ぎ方が凄い。昨日他の学校で卒業式があって、聞くところによると、学校の近くの駅は落書きをされ、校内・校外では牛乳や生卵、水鉄砲が飛び交っていたそうです…、この学校でも、内部生だけでなく、外部生が侵入して学校が荒らされることを恐れて)、木曜日の晩から夜通しで警備がされていました。昨日、Mt.Elizaへ行く途中、生徒の一人が生卵を投げられたそうで、今日の天気予報は「曇り時々生卵」でしたが、予報は予報、実際には何も起こりませんでした(良かった…)。ちなみに、昨晩、外で叫び声が聞こえました。
 朝学校に行った時にはむしろ静かで怖いくらいでした。でも、すぐにY12が大声で歌いながら廊下を行進しているのを聞いて、私もわくわくして来ました。
 今日の予定は、9時半からY12の生徒と先生、父兄のValedictory Service (Chapel Service)というのがありました。これは結構厳か(といっても、やはり日本の卒業式ほど厳粛ではありません)で、Y12の先生や生徒の代表が聖書の一節を読み、校長先生から祝辞(?)が読まれ、数人の生徒が歌を歌う、というものでした。この式ではブレザーが強制されていたのですが、着ていない生徒もいましたし、また、式の間ずっと戸は開けっ放し、父兄も服装は普段着みたいな感じで、「formal」とは言われていたものの、日本の厳粛な式を経験している私としては、全然formalではありませんでした。式は1時間もしないうちに終わりました。けれども、中には涙を流す生徒も見られ、私も貰いなきしそうでした。
 そしてその後、Y12の生徒は自由時間(他の学年は授業)。私はその後は授業だったので、あまり良くは見られませんでしたが、仮装パーティーみたいでした。みんな制服にメッセージを書いたり書いてもらったり、色々な服装をしたり(牧師さんの格好や、フランケンみたいな格好、マイケルジャクソンみたいな格好etc)、みんな凄くはじけていました!
 お昼の後は涙、涙(?)の卒業式です!予めどんなものかは簡単に聞いていたのですが、思っていた以上のものでした。最初にY7〜11の生徒・先生が席に着いていて、音楽にのってY12の先生と生徒がtutorialごとに入場しました。先生と生徒は手をつないで、中にはスキップしながら入場する生徒もいて、入場から言って、日本の卒業式とは正反対です。そして、Y12は全員壇上に座りました。その後は、生徒のヘッドが式を仕切りました。Y12の代表が歌を歌ったり、バンドを披露したり、またY11が歌を歌ったり…。そしてヘッドによる「思い出の名台詞集」が発表されました。これはY12の中で今までの学校生活の中で面白い、記念すべき名言を集めたそうです(私も昨日、生徒から「Y12 Japanese ‘01」というのを貰いました)。けれども、とにかく早口で何を言っているのかわかりませんでした。それでも周りの人は大笑い!おかしさのあまり涙を流す人もいて、涙、涙の卒業式(?)!そして、最後はtutorial group毎に卒業証書みたいなものを一人ずつ渡されました。先生が生徒の名前を呼んで、校長先生が一人一人に修了書を渡し、一つのtutorialが壇上に一列に並ぶと生徒が一発芸(一瞬芸)のようなを。端から端までハグをしていったtutorial、可愛いポーズをとって見せたtutorial、予め紙に一人ずつ違う文字を書いてそれを順番に見せて一つの文章を作ったtutorialなど!私はどのtutorialにも知っている生徒がいたので、写真を撮るのに精一杯でした。運良く、式が終わった後には天気が一時回復し、外で写真タイム!私も日本語のクラスの生徒達と写真を撮りました。その時、生徒達から「Thank you Yuki」というカードを貰って私は大感激!!生徒一人一人(計11人)からのメッセージが寄せられていました。凄く嬉しかったです。
 本当にこれが最後なんて信じられません。でも私は寮にいるので、生徒が登校した時にはいつでも顔を合わせられると思います(私がこの学校にいる限り)。
 8月以降時間がたつのがとても早く感じます。それはこちらの生活に慣れ、毎日が本当に充実しているからだと思います。私の場合は日本語教師アシスタントとしてはマイナーな形のアシスタントですが、0から教える日本語ではなく、土台がある上で教える日本語というのも実はとても大変なのだということがわかりました。Y12まで続けるのはとても大変なことで、そんな大変な思いをしてまで日本語、日本について学んでくれた生徒にとても感謝しています。明日はValedictory Dinner、日本語の筆記テストが終わった後は日本語のクラスでランチを食べに行くそうです。それに、中には来年日本に留学や旅行で行く生徒もいるので、私達はこれからも多分Keep in touchでしょう!
 夜、中国人の生徒に麻雀を教わりました。でもあまり理解できませんでした。7
(注)本当のお別れは来月のSpeech Nightです。

2001年10月15日
 時が経つのはとても早いものです。寮では、来週のフェアウェルディナー(Y12のお別れパーティー)に向けて話し合いがされています。そして、Y12全体では、カウントダウンが始まりました。Y12はあと9日学校に来れば卒業です(その前にテストがありますが)。
 ところで、今日、母と弟がアメリカに行きました。とても危険だと言われているのに…。今朝、久しぶりに家族に電話しました。普段ホームシックにもならなければ、家族のことを考えることもないのですが、今度ばかりは不安です。
 でも、こちらに来てから考えるのですが、周りがどんな状況にせよ、今しかできないと思ったら実行するべきなのではないかと思うのです。多分、家族もこの時を逃したら一生アメリカに行かなくなるかもしれません。状況が状況だけに、断言はできませんが、昨年就職活動を中断してオーストラリア行きを考え、私の中に殆ど迷いはありませんでしたが、一瞬のためらいはありました。けれども、今こちらに来てみて、良くも悪くも成長したように思います。帰国したら「既卒」としての就職活動が待ってるわけで、在学中に比べたら条件は厳しくなるだろうと覚悟しています。けれども、それに見合うだけの体験をさせてもらっているし、オーストラリアの土地柄のせいか、周りを見渡すことを覚えたように思います。それと、時間の大切さも学びました(←なぜ過去形?)。とにかく一瞬一瞬がとても大切に思えるのです。効率どうこうよりも、時間をいかにうまく使うか、最大限生かせるか、そんなことも学びつつあります。そして何よりも実感するのは人の大切さです。相手はどう思っているかわからないけれども、今まで以上に友達を思うようになりました。また、こちらでは言葉がうまく通じない分、感謝などの気持ちを今まで以上に大切にするようになりました。結局何が言いたいのかというと、今がなければこの先もないし、今の気持ちがとても大切だと言うことです。迷っているくらいなら実行すべきではないかと。これを読んでくださっている方の中で、ちょっとでもアシスタントを体験してみたいと思う方がいらっしゃったら、ぜひやっていただきたいと思います。決して楽しいことばかりではないと思うけれども、その分耐えることを学べると思いますし、でもたいてい楽しいことばかりだと思います。
 なぜこんなことを書いたかと言うと、今色々なことで複雑な心境だから。そして、日本語教師アシスタントのための次の募集が始まっているからです。ちなみに、私は決して沈んでいるわけではありません。ただ、色々なことを考えすぎてちょっと疲れているだけです。 

気持ち新たに

2001年10月9日
今回のホリデーは大自然と人との出会いの連続でした。
前タームの最終日から26日まで寮のスタッフのお宅へスティさせていただいたのですが、そこから色々な出会いが始まりました。フェリーに乗ったり、海岸沿いを犬を連れて散歩したり、パーティーに参加させてもらったり…寮にいてはあまり経験できないことをホームスティですることができました。
そして、今回のホリデーの醍醐味はアウトバックへの旅行です。メルボルンから2泊3日かけて大陸縦断鉄道the GHANに乗ってアリススプリングスへ行きました。途中、アデレードで5時間ほど停車したので、SA州の中心地アデレードの街を少し歩くことができました。
もう何から書いていいのかわからないのでドットポイントでいきます。
・アリススプリングではバックパッカーズに1泊しました。6人部屋でしたが、全員日本人でした。そのうち2人が同じツアーに参加することになっていました。このホリデーはオーストラリアに染まりたかったので辞書も持たずに出かけました。けれども、行きの電車の中でもホテルでもツアーでも日本人に囲まれてしまい、最初は正直言ってがっかりしました。オーストラリアにいる日本人はたいてい日本人同士で固まってしまい、日本語でしか話さない、ということをよく聞いていましたのでそれもあって最初は日本人の方と話すのに抵抗を覚えました(同じ国の人同士の方が安心感があるし、ワーホリについての色々な話を聞くことができたので結果的にはよかったです)。
アリススプリングスからは3日間ツアーに参加し、Kings Canyon、 Olgas、 Ayers Rockに行きました。それら3か所でウォーキングをしました。太ってから山道を歩いたのは初めてなので、かなり疲れました。3ヶ所とも足元に気を取られて目の前に広がる景色をあまり満喫できなかったのは残念ですが、それぞれの自然の雄大さには圧倒されるばかりでした。このツアーの最大イベントは何と言ってもAyers Rock(オーストラリアのシンボル!)ですが、私はそれよりも、あの『風の谷のナウシカ』のもととなったとワーホリの間で言われているOlgasが一番印象的でした。なぜかと言うと、理由は自分でもわかりませんが。あんなに大きな岩を今まで見たことなかったからでしょうか。空を流れる雲が谷に吸い込まれそうになっていくのを見て不思議な感じがしました。もちろん、Ayers Rockでの感動も忘れられないものです。Ayers Rockはアボリジニーの神聖地と言われているので、登ろうかどうかかなり迷いましたが、せっかく来たから…と登ってしまいました。写真で見ると“岩ひとつ”という印象しかなかったのですが、一歩一歩進むごとにその凄さが伝わってきました。ツアーには日本人他スイス、台湾、イスラエル、イギリスからも参加者がいました。ツアーに色々な国の人がいるのはオーストラリアならではだと思います。ドライバー兼任のガイドさんも、親しみやすく、とても楽しい時間を過ごすことができました。
・    the GHANに乗って、改めてオーストラリア大陸の広さを実感しました。卒業旅行でヨーロッパに行った時、フランスからドイツへ行くのに寝台列車に乗りましたが、それでも1夜を電車で過ごすだけでした。今回は同じ国内を行くのでさえこんなに長い間電車に乗っていなくてはいけないなんて…。地図上ではオーストラリア大陸の広さを知ることはできません。次のホリデーの交通手段も考え直さないと…!
・    メルボルンに着いて2泊してから今度はVIC州の観光名所Great Ocean Roadへのツアーに参加しました。今度のツアーにはオーストラリア人がガイドさん以外いなくて、私以外ヨーロッパからのワーホリもしくは観光客でした。今は寒くもなく暑くもなくちょうどいい季節と言われていたのですが、今年は例年より少し寒く、また3日間雨に濡れての観光となってしまいました。前から憧れていたGreat Ocean Roadでしたが、景色以上に人との出会いはすばらしいものでした。日本人一人で参加していたことを驚かれましたが、その代わりにみんなとても親切にしてくださいました。ヨーロッパの人はあまり日本に関する知識がないみたいで、ツアー中のちょっとした生活習慣の違いが誤解を生みそうになりましたが、すばらしい方ばかりでした。
・    バックパッカーズホテルでも出会いがあるものです。私は同じ部屋になった人には自分から話し掛けるようにしました。といっても、一言二言ですが。殆どの人がオーストラリア大陸一周を目指して旅を続けていて、女の人でもとても頼もしく感じられました。
今回の旅行を通して出会った人々と今後いい関係を保てるかどうかわかりませんが、一つ一つの出会いを大切にしていきたいと思います。
 もう次のホリデーの計画を立てています。早くしないとチケットが取れないので。旅行が終わったら日本に帰る予定です。あっという間に最後のタームがきてしまい、正直言ってちょっと焦っています。私にできること、私にしかできないことは何なのか…。まだはっきりと答えが見つかりません。今学期は最後のタームで色々な行事が待っています。Y12にとって最後の大切な試験があって、それが終われば私のこの学校での仕事はほぼ終わってしまいます。今学期は忙しくなる分、時が経つのがとても早く感じると思います。もう「何ができるのかな」なんて考えている時間はありません。何でもやってみようと思います。

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